元大学職員のスピーチ

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「肩書き」が目的になってはいけないな、と思う。

自分への叱咤の意味も込めて。

「肩書き」が何かをする目的になってはいけないなあと思う。自己承認欲求をある程度満たすことは、自己肯定感を持つ上で大事かもしれない。だけど、それを追い求めすぎると、いつのまにか中身のない人になってしまう気がする。

 

就活をしていた頃の自分、働き始めて3年目までの自分。恥ずかしながら、他者の評価を気にしすぎていたと思う。いわゆる「肩書き」や「どんな人と知り合いか」、「どんなところに所属しているのか」的なやつ。それが自分の評価とかそういうものを高めると勘違いしていた。

 

4年目を迎えてすぐの頃、ある人に「あなたは自分で何かと理由をつけて今いる場所に止まって、愚痴を言うばかりで、行動できていない」と言われて気がついた。(言われた直後はそんなことないとムッとしたけど)

 

私、何がやりたくて、何ができたの?何ができているの?

 

外見ばかりを気にして、中身が何もないんじゃない?

 

人生は肩書きをどれだけ集めてきたかではないのだ。何を考えて、いかに行動するのか。行動の積み重ねが自分を作る。それに気づいてから、自分の中で燻っていた何かが消えた気がする。「行動できているか」を時々振り返りながら、日々生きている。まだまだ未熟だけども。

 

先日、大学業界のことを勉強する方法について記事を書いた。必要だと感じるなら、勉強の場を求めてぜひ色々なところへ出かけていただけたら嬉しいのだけど、「肩書きを得る」ことを目的にして欲しくないなあと思う。

他の業界のことはわからないが、私が今身を置いているこの業界、「肩書きを得ること」が目的となってしまっている人に出会う確率が高い気がするのだ。

 

その勉強会は何のためにやっているの?(○○会の何々をやっている自分、××で発表した自分に酔ってない?)

その勉強は何のためにやるの?

自分は何をやりたいの?今、どんなことができているの?

 

手段と目的が入れ替わらないように。

日々精進していかねば、と思う。