元大学職員のスピーチ

元大学職員。PR会社に転職しました。//大学職員の仕事、大学職員論、大学教育に関する話題はこちらに書きます。//noteでは、広報PR、働き方などを発信中。https://note.com/mariehoshino

2018年の目標

このタイトルでブログを書こうと思ってから、もう3月に突入していた。

早い。この時期はいつもこんな感じである。1月〜3月はなぜか時間が早く過ぎる。

 

2017年も年頭に目標を立てたが、今年も目標を立てている。

今年は新しく家族が増える年。いろいろ思い通りにいかないことの方が多いと思うけれど、できることを着実にひとつずつ、クリアしていきたいと思う。

 

目標は人に見せるもんじゃない!という考えの方もいるかもしれないが、やろうと思っていることを人に公開しておくことで、言い訳をして結局やらない事態を避けることができると思うので、私は目標をブログに書く。

ということで、以下が今年の目標。

 

2018年の目標

●赤ちゃんを無事に産む

●無事に生まれてきたら、赤ちゃんとの生活に慣れる

Twitterでもちょくちょくつぶやいているけれど、第1子を妊娠中。多嚢胞性卵巣という体質のため、不妊治療も必要だった可能性があったので、子供を持つ時期は予定していたより早いけれど、本当に運が良かった。神様からの贈り物だと思う。ただ、出産を終えるまで何があるかわからない。無理をせず、日々を大事に過ごしたい。

 

●デジタル一眼の練習もかねて、赤ちゃんの写真を沢山残す

一眼レフで写真を撮れるようになりたいなあと思って早一年。昨年はあまりやらなかったので、きっとかわいいであろう赤ちゃんの写真を沢山撮りたいと思う。

 

●引き継ぎを完了させる、今動いている仕事の道筋を立ててから休む

出産にあたって、規程通りの産休・育休をいただくことにした。部署の方々にはそれでなくても人手不足の中、迷惑をかけてしまうけれど、自分の仕事を少なくともやりっぱなしとか、何がどうなっているのかわからない状態で休むのは避けたいと思う(緊急入院とかにならない限り)。こういうお休みはお互い様であるとも思っているので、復帰した後、周りの人が何かの理由でお休みになる時は今度は私がサポートに回る番。

 

●引っ越す

今の部屋は二人暮らしを想定して借りた部屋なので、若干狭い。赤ちゃんとの暮らしが始まったら、時期を見て引越しをしたい。

 

●お金を貯める

家を買ったり、子供の進学資金を想定したりすると、今のうちに目標金額を設定して貯めた方が貯まりやすい気がしている。無理せず家事もうまく手抜きしながら節約しつつ、目標金額までなんとか貯めたいなあと思っている今日この頃。

 

●これまでやってきた仕事を振り返る

以前、とある大学職員さんもブログに書かれていたが、自分の仕事を定期的に振り返るのって自分の現状を客観的に見るためにも大事だと思う。安定した雇用が約束されていない現在の社会で、自分の市場価値をどう高めるかを意識するためにも、一年のお休みの中で一度職務経歴書をまとめてみたい(別に転職はしない)。そして、自分の働き方を見つめ直してみたいなと思う。

 

●読書の習慣をなるべく絶やさない

子育て中にどれだけ本が読めるのかわからない。全然読めないかもしれない。時間がかかってもいいので、本を読む習慣は絶やさずにいたいなと思う。できれば年間2桁は読破したいけれどできるだろうか…。

 

●FP3級を取る

お金を貯める話にもつながってくるのだが、家を買おう、子供の進学費用を貯めようと思った時に、資産管理とか住宅ローンの仕組みとか、恥ずかしながらお金に関する常識をあまりにも知らなさすぎることに気がついた。資格を取るというより、お金に関することはどうしても興味がわかなくて追い込まれないと勉強しないので、資格をモチベーションの一つとして世の中の常識を身につけたいなと思う。

 

●良い音楽をたくさん聴く

●暮らしの中にArtを取り入れる、お気に入りの写真や絵を見つけて楽しむ

これも子育ての中でどれくらい余裕が持てるかわからないけれど、やれたらやりたいことの1つ。日々の生活の中で「余裕」って大事だな、と最近特に思う。仕事で嫌なことがあって家に帰ってきても、家では余裕を持って心が楽に過ごせるなら良いなと思うし、毎日1個でも楽しいと思えることがある方が人生楽しいと思う。自分が安らげる、楽しめる時間を5分だけでも作れたらいいなあ、と。

 

以上が今年の目標たち。

今年もマイペースに頑張ろう。

 

 

子育てにかかる費用は青天井だな、と思った

最近、パートナー氏との間で「もし子供が〇〇をやりたい、と言ったらどうするか?」についてよく話す。

 

子供がやりたいことは基本的に反対せず、なんでもやらせてあげたい。しかし、スポンサーである我々両親が出せる費用にも限界がある。本人がやりたいと言っても、すべてをやらせてあげられるかどうかはわからない。例えば、習い事でフィギュアスケートをやりたいなんて言われた日には、きっと目が飛び出るくらいの活動費がかかるだろう。大学職員という職業柄、美大に行きたい、音大に行きたい、医学部に行きたいなどと言われた日には、ものすごい学費がかかるなあ…などとまだまだ何十年も先の心配をしてしまったりもする。

 

この間、とても簡易なものではあるがライフプランニング表を作ってみた。基本的に高校までは公立で行かせたい派だけど、それでも習い事・塾や予備校などを含めると大学卒業までにおよそ1000万円はかかるなあという試算が出た。子供は可能なら2人欲しいから、最低でも2000万円はこれから約30年の間に飛んでいく計算である。

 

世の中には様々な子供向けサービス、習い事、塾、予備校、学校があって、子供に対してお金をかけようと思ったらいくらでもかけることができる(本人が望むかは置いといて)。何をやれば正解というものがないから、子供に対する可能性をできるだけ多く持っていてあげたいと思うのが親心。子育てにかかる費用、かけられる費用は青天井である。

 

子育てに関する費用はすべて私費でまかなうのが日本という社会。実際自分が親になるかもしれない状況になって初めてわかったが、子育てにこんなにお金がかかるのに、勤労世代が積極的に消費なんてできない。日本の景気があまりうまく回っていないのは、こういうところにも原因があるのではないかと思う。

 

とりあえず、冒頭の会話をパートナー氏と続ける中で子供の可能性を無下に狭めず、でも自分たちの出せる費用の中でやりくりしていくために、我が家では子供が何かやりたいと言った時は必ずその理由を掘り下げる方針で行くことにした。単に〇〇ちゃんがやっているからという理由なら、その習い事や塾をやることは却下。子供が本当にそれに興味を持っていて、面白そうだとか自分の道を切り開きたいと思っているならやらせてあげたいと思っている。

 

そのためにも、夫婦共々頑張って働かねばなあと思うし、賢くお金を貯めたり運用したりしないとなあと思う今日この頃である。

PRプランナー検定の勉強で使ったテキスト

以前紹介したPRプランナー検定について、タイトルに関する質問をいただいたので、ご紹介したい。

 

PRプランナー検定については過去記事をご覧ください。

photon28.hatenadiary.jp

 

PRプランナー検定の勉強には検定協会が出している公式テキストを利用するのが一番。というより、そのほかのテキストを見たことがないので、公式テキストを使うしかないかなと思う。周りの受験者もみんな同じテキストを持っていた。

 

公式テキストは協会HPでラインナップを確認可能。過去問もあるので、テキストを読み進めながら問題を解いていくと効率的に対策できると思う。

 

PRプランナー資格認定制度/検定試験 | 公式テキスト/参考図書

 

広報・PR概論―PRプランナー資格認定制度1次試験対応テキスト

広報・PR概論―PRプランナー資格認定制度1次試験対応テキスト

 

 

 

2017年度改訂 広報・PR資格試験過去問題集

2017年度改訂 広報・PR資格試験過去問題集

 

 

 

検定試験の中では突飛な問題は出ない。テキストに書いてあること、実務の中で覚えてきたことで十分に対応できる。

 

かくいう私も、まだ上の級を目指しているところなので、出産が落ち着いたら少しずつ勉強を始めようかなと思う。

 

子育てをしながら、未知数の赤ちゃんと格闘しながらほんとに自分のための時間が持てるのかはわからないけれど、やってみたいなあと思う。

 

子育てしながら自己研鑽、についてはまたいずれ。時が来たら書きたい。

 

社会で活躍できる人材を育てるのが大学なのか、という疑問

大学で働くようになってから、世の中には様々な「大学」関連のニュースや記事が溢れているなあと気付くようになった。特にここ数年、経済誌や週刊誌で大学関連の特集が目立つように思う。大学を様々な切り口からランク付けしたもの、大学という職場の現状をセンセーショナルに書き立てたもの、今トレンドの教育方法などなど。多様な特集が組まれている。

 

世間の人々は「大学」に関する話題がお好きである。大学で行われている実際の仕事を知らなくても、今取り組まれている教育方法や研究内容を知らなくても、自分達が通ってきた道・経験してきたことをもとに簡単に語れてしまうからだろうか。

 

大学に関する記事・ツイート・ニュースを様々眺めている中で、よく見かけるのが「グローバル化する社会で活躍できる〇〇な人材を育成していくべき〜」だとか、「これからのAI時代に適応できる人材を育成〜」だとか、”今後の予測不能な社会を切り開いて明るい社会に持っていけるような活躍できる人材を大学には育成してほしい”という論調である。

 

社会で活躍できる人材を育てるのが大学、というのは一見もっともな意見のように思えるが、果たして大学の役割はそれでいいのだろうか?

 

大学は学生を集めて教育を行っている側面から見れば、確かに「人材育成」の役割も持っている。しかしそれだけではない。学問を追究する場として「大学」というものが成立した歴史を考えるなら、大学は研究機関としての役割も持つし、大学の持つ資料(史料)という観点から見ればデータセンターとしての役割も持ちうる。

 

大学が持つ役割は多岐にわたっているのだ。

で、そこから何が言いたいかというと、大学は今の社会が求める「即活躍できる人材」を育成することは難しいのでは、ということである。大学で行われる教育の根元にあるのは「学問」であり「研究」だ。だからこそ各大学は研究機関を持っているし、図書館を有して様々な資料を集めている。各個人が所属する学部学科の中で、「〇〇学」という学問体系の思考法、社会・自然を分析する手段としての理論を学ぶのが大学の教育なのであって、(学科にもよるけれど)ある職業に直接結びつくような即効性のある学びをすることは難しいのである。(そもそも、即効性のある学びが本当に良い学びなのかはわからない。)

 

大学での学びに即効性はない。だから社会で役立たないかというと、そうではない。資料の探し方、正しい情報の見極め方をきちんと身につければ、それは仕事上でも役立つはずである。哲学や社会学など、仕事に直接は結びつかないような学問を学んだとしても、大学4年間で身につけた「世の中の見方」や「物事の考え方」は、その考え方を全く知らない人よりも思考の幅や視野が広がり、人生を豊かにしてくれる。大学の教育とはそういうものではないのだろうか。

 

それから、大学が社会で活躍する人材を育成すべきという議論には「大学での学びだけで全て終了していいのか?」という疑問を投げかけたい。人は何歳になっても変わるし、経験を積む中で考え方や行動の仕方も変わる。もし今、企業の中で自分たちが相手にする市場で活躍してくれる人材がいないと感じているのなら、それは企業の人材育成力不足、経験させる・行動させる環境不足も疑うべきではないだろうか。優秀な人は何歳になっても学び続けているし、行動し続けていて、自分の置かれたフィールドで何をすべきかを考え続けている。そういう人を企業が活かしきれていない、という実情もあるのではないか。(既得権益を優先したおじさんが踏ん反り返っていない?と聞きたい。)

 

世間の人々はなんでこんなにも「大学」に関心を持って色々と論じているのだろう。

根拠はないけれど、バブル崩壊以後、日本社会の停滞感を払拭できていないと感じている人が多いからではないか、と個人的には思っている。今のこの”なんとなく漂う日本社会のお先真っ暗感”をどうにかするには、若い人に活躍してもらわねば!だから大学には社会で活躍できる人材を育成してもらわねば!そういう思考回路、働いていないだろうか。

 

大学で働く者として、ただ目の前の業務を処理していくだけではなくて、「大学」ってどういう場所?自大学はどういう役割を担っていくの?ということは考え続けるべきことだな、と思った3連休初日でした。

 

手帳を持つのをやめました。

手帳を持つのをやめた。

1月も半ばになれば、新しい手帳のまっさらなページがどんどん埋まってきている頃かなと想像するけれど、去年の夏ぐらいから手帳を持つことに不便を感じてやめてしまった。

 

不便を感じた理由は3つ。

①仕事のスケジュールをクラウド上のスケジューラーで管理するようになった

仕事のスケジュールは、クラウド上のスケジュール管理ツールで管理する体制に職場全体が変わった。そのため、手帳に仕事の予定を書いて管理する必要がなくなってしまった。手帳にも、クラウドにも仕事の予定を書くと二度手間である。管理するツールが複数あるのも面倒くさいので、仕事の予定は手帳に書かず、全てウェブ上で管理するようになった。

 

②プライベートの予定もGoogleカレンダーで管理するようになった

仕事の予定を書かなくなった手帳には、プライベートの予定を書いていたのだが、それも結婚したことによってスケジュール管理体制が変更となった。パートナーとお互いのスケジュールを共有するため、Googleカレンダーを活用することにしたのである。

これが結構便利。お互い一緒の予定はどちらかがスケジュールを作成し、相手を招待するだけでいい。また、アカウントごとに色が分かれるため、パートナーの予定をわざわざ色分けして手帳に書くという手間が省ける。

手帳の必要性を感じなくなってしまった。

 

③タスクや考えていることの整理は、手帳よりもむしろノートの方が最適であることに気づいた

これまで手帳を使っていた際は、スケジュールを管理すると同時にその時思いついた仕事のアイディアをメモしたり、タスクを書き出すツールとしても使っていた。

しかし、手帳にそれらをメモすると意外と見返さないことも多いほか、どこに何を書いたのか忘れてしまうことも多かった。それがノートだと忘れずにやりたいタスクやアイディアをメモした場所に付箋やインデックスをつけて管理することができる。今はその便利さに気づき、手のひらサイズのノートを雑記として使い、思考の整理をするようにしている。

 

手帳をやめると荷物が軽い。便利である。また、複数端末でスケジュールの確認ができるため、その時使用している端末から確認することができ、手帳を出す手間が省ける。

ただ、スマフォが故障等で使えなくなってしまった場合、スケジュールを手元で確認できなくなってしまうので少し不便かもしれない。

 

各個人によってベストなスケジュール管理方法があると思うので、自分に合ったものを選択すればいい。ただ、手帳信者だった私も手帳なし生活にシフトしてしまったくらい、意外とWeb管理も便利なので、まだWeb管理を試したことのない人は一度試してみるのもありかもしれない。

 

 

 

 

厳しい世の中だから、「学ぶこと」で心に余裕を持つ

厳しい世の中である。

ここ数年、数字上は景気の回復が言われているけれども、給料は上がらない。給料は上がらないのに、物価はじわじわと上がってきている(金額は一緒でも内容量が減ってたりとか、実質値上げしているものも本当に多く、食費が高くついて悩ましい今日この頃。これってスタグフレーションじゃないの?)。

 

ぼへっと何も考えずに生きていたら、AIに仕事を取られて無職になってしまうかもしれない。

 

インド、中国が圧倒的な力をつけてきて、ここ数年であっという間に研究力や革新力、企業力の面で日本を追い越した。(私が小さい頃から言われていたことなのに、何もしてこなかった大人に責任は無いのか?と時々思う…)

 

高齢化社会が目の前に迫っている。2020年には日本人女性の2人に1人が50歳以上になるらしい。これまで成り立っていた社会保障、国を維持する仕組みが破綻し始める。

 

いや、ほんとに厳しい世の中である。

稀に見る厳しい世の中である。

 

将来の発展が約束されていない世の中だからこそ、社会に期待したり、一つの組織にしがみついて生きていくのは危ないなあと思う。安定していると言われている公務員や大学職員も同じ。若者人口が減れば、重要のなくなった大学や人のいなくなった自治体は簡単に潰れる。どの業界もサバイバル戦を当たり前に強いられるのだ。

 

そんな環境の中で心の余裕を持つとしたら、その手段は人によって様々だろうが、私の場合は「学ぶこと」によって一つの組織にしがみつかなくてもなんとかなるように自分を訓練する道を選ぶ。

 

資格の勉強、今携わっている仕事に関連する読書や情報収集、その分野の知見のある人から話を聞く。紙とペンを持ってやる勉強も「学ぶこと」の一つだが、仕事をする中で得られる経験や知見も学ぶことの一つであると思う。

 

受け身ではなくて、自分で考えて少しでも動いていくこと。この積み重ねで、これから重ねていく年数が変わっていくのだろうなと最近思う。

 

ゆとり世代にとって、日本が明るかったことなど全くない。浮かれた時代など生まれてこのかた経験したことがない。生まれた時にはバブルが崩壊し、失われた20年だ、就職氷河期だ、震災をはじめとした自然災害に見舞われたり、サリン事件のような凶悪犯罪が発生したりしていた。

 

この社会に希望を持って、所属組織に夢や望みを託して生きることなど端から期待していない人が多いように思う。

 

大学時代に同期と少し話したことがある。今のおじさんたちの世代が作ってきたこの社会、ゆとり世代が結構変えていくんじゃないかな、と。実際変えられるかは分からないけれど、でもせめて、これから生まれてくる子供達には今より悪い社会を残したくないと思う。

政治家ではないし、大きな影響力もあいにく持ち合わせていないから、自分の持ち場で、今できる最善の方法を今日も尽くしていくのだ。

 

 

 

 

いろんなフィルターを外して、相手と対等に向き合うことー映画『マイ・インターン』より

前々からずっと観たいと思っていた映画、『マイ・インターン』を視聴した。想像していた以上に良い映画だった。

wwws.warnerbros.co.jp

 

監督のナンシーは人間関係を描くのが上手い。夫婦、恋人、同僚、上司etc…、登場人物を通して人生の中で起こりうる人間関係をさりげなく、見事に描き出している。

 

中でも今回の作品の軸は「年齢差を超えた友情・信頼関係」にある。

主演はロバート・デ・ニーロアン・ハサウェイロバート・デ・ニーロが演じるのは仕事を定年退職し、妻も亡くして老後の時間を持て余した70歳の高齢者”ベン”。ベンはある時「高齢インターン募集」のチラシを見つけ、アン・ハサウェイ演じる”ジュールス”が起業・経営するファッション通販の会社で、ジュールス付きのインターンとして働き始める。最初は仕事ももらえず、うまくいかないと思われた二人の関係だったが、ベンの長年の経験・知恵と持ち前の明るく温厚な人柄で次第に周囲から信頼され、ジュールスとも信頼関係を築き、会社の問題やジュールスの家庭の問題に向き合っていく。

ザックリまとめると上記のような物語。

 

物語の中心であるベンとジュールスとの間の信頼関係がなんとも良い。

ベンは年齢を笠に着て同僚を下手に見たり、威張り散らすことは絶対にしない。相手と対等に向き合い、話を聞き、話をする。それが年下であっても、相手の良いところを純粋に尊敬し、それを伝えることができる。ジュールスも最初こそ老人を毛嫌いしていたが、ベンの人柄と仕事ぶりがわかると、相手が年上だからといってむやみに持ち上げたり距離を作るのではなく、相手と対等に話をし、関係を築くことができる。

年齢を超えた友人関係は、年を取っている方にも、若い方にも、お互いがそれぞれの考え方に影響を受けて、良い刺激となって、人生を豊かにしてくれる。そんな効果があるのではないか、と思った。

 

けれど、年齢差を超えた友人関係って、日本ではあまり見かけない気がする。実際、自分の友人関係を振り返ってみても、10歳以上年の離れた友人はほとんどいない。

日本では「年齢差」=「世代間ギャップ」=「お互いの世代の批判合戦」になりやすい。歳を重ねている人は若い子を見れば「あの世代は軟弱でダメだ」と言い、若い世代も歳を取っている世代の行動を見ては「あの世代は自己中だ」と言う。若い世代も、歳を取っている世代も、自分たちの属する「世代」というものに囚われて、相手を見る目にフィルターがかかっていないだろうか。そのフィルターで本来得られたであろう最高の友人に出会うチャンスを逃してしまってはいないだろうか。

 

同質な集団で同じ時間を共有するだけ、一緒に遊びに行くだけが友人ではない。

人生の節目節目で話をし、お互いの考え方に刺激を受け合う。それも友人の一つの形だと思う。

 

世代に囚われたフィルターを一度外して、まずは人として相手を対等に見てみる。その上で自分と気が合うなら関係を深めていけばいいし、そうでないなら深入りする必要はない。人間関係はそうやって主体的に自由に構築していっても良いものではないだろうか。

 

「相手を年齢差・所属など関係なくフラットな目で見て、一人の人間として接する」こと。人生を豊かにする基本姿勢。何歳になっても忘れず心がけたいな、と思った。