元大学職員のスピーチ

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厳しい世の中だから、「学ぶこと」で心に余裕を持つ

厳しい世の中である。

ここ数年、数字上は景気の回復が言われているけれども、給料は上がらない。給料は上がらないのに、物価はじわじわと上がってきている(金額は一緒でも内容量が減ってたりとか、実質値上げしているものも本当に多く、食費が高くついて悩ましい今日この頃。これってスタグフレーションじゃないの?)。

 

ぼへっと何も考えずに生きていたら、AIに仕事を取られて無職になってしまうかもしれない。

 

インド、中国が圧倒的な力をつけてきて、ここ数年であっという間に研究力や革新力、企業力の面で日本を追い越した。(私が小さい頃から言われていたことなのに、何もしてこなかった大人に責任は無いのか?と時々思う…)

 

高齢化社会が目の前に迫っている。2020年には日本人女性の2人に1人が50歳以上になるらしい。これまで成り立っていた社会保障、国を維持する仕組みが破綻し始める。

 

いや、ほんとに厳しい世の中である。

稀に見る厳しい世の中である。

 

将来の発展が約束されていない世の中だからこそ、社会に期待したり、一つの組織にしがみついて生きていくのは危ないなあと思う。安定していると言われている公務員や大学職員も同じ。若者人口が減れば、重要のなくなった大学や人のいなくなった自治体は簡単に潰れる。どの業界もサバイバル戦を当たり前に強いられるのだ。

 

そんな環境の中で心の余裕を持つとしたら、その手段は人によって様々だろうが、私の場合は「学ぶこと」によって一つの組織にしがみつかなくてもなんとかなるように自分を訓練する道を選ぶ。

 

資格の勉強、今携わっている仕事に関連する読書や情報収集、その分野の知見のある人から話を聞く。紙とペンを持ってやる勉強も「学ぶこと」の一つだが、仕事をする中で得られる経験や知見も学ぶことの一つであると思う。

 

受け身ではなくて、自分で考えて少しでも動いていくこと。この積み重ねで、これから重ねていく年数が変わっていくのだろうなと最近思う。

 

ゆとり世代にとって、日本が明るかったことなど全くない。浮かれた時代など生まれてこのかた経験したことがない。生まれた時にはバブルが崩壊し、失われた20年だ、就職氷河期だ、震災をはじめとした自然災害に見舞われたり、サリン事件のような凶悪犯罪が発生したりしていた。

 

この社会に希望を持って、所属組織に夢や望みを託して生きることなど端から期待していない人が多いように思う。

 

大学時代に同期と少し話したことがある。今のおじさんたちの世代が作ってきたこの社会、ゆとり世代が結構変えていくんじゃないかな、と。実際変えられるかは分からないけれど、でもせめて、これから生まれてくる子供達には今より悪い社会を残したくないと思う。

政治家ではないし、大きな影響力もあいにく持ち合わせていないから、自分の持ち場で、今できる最善の方法を今日も尽くしていくのだ。

 

 

 

 

いろんなフィルターを外して、相手と対等に向き合うことー映画『マイ・インターン』より

前々からずっと観たいと思っていた映画、『マイ・インターン』を視聴した。想像していた以上に良い映画だった。

wwws.warnerbros.co.jp

 

監督のナンシーは人間関係を描くのが上手い。夫婦、恋人、同僚、上司etc…、登場人物を通して人生の中で起こりうる人間関係をさりげなく、見事に描き出している。

 

中でも今回の作品の軸は「年齢差を超えた友情・信頼関係」にある。

主演はロバート・デ・ニーロアン・ハサウェイロバート・デ・ニーロが演じるのは仕事を定年退職し、妻も亡くして老後の時間を持て余した70歳の高齢者”ベン”。ベンはある時「高齢インターン募集」のチラシを見つけ、アン・ハサウェイ演じる”ジュールス”が起業・経営するファッション通販の会社で、ジュールス付きのインターンとして働き始める。最初は仕事ももらえず、うまくいかないと思われた二人の関係だったが、ベンの長年の経験・知恵と持ち前の明るく温厚な人柄で次第に周囲から信頼され、ジュールスとも信頼関係を築き、会社の問題やジュールスの家庭の問題に向き合っていく。

ザックリまとめると上記のような物語。

 

物語の中心であるベンとジュールスとの間の信頼関係がなんとも良い。

ベンは年齢を笠に着て同僚を下手に見たり、威張り散らすことは絶対にしない。相手と対等に向き合い、話を聞き、話をする。それが年下であっても、相手の良いところを純粋に尊敬し、それを伝えることができる。ジュールスも最初こそ老人を毛嫌いしていたが、ベンの人柄と仕事ぶりがわかると、相手が年上だからといってむやみに持ち上げたり距離を作るのではなく、相手と対等に話をし、関係を築くことができる。

年齢を超えた友人関係は、年を取っている方にも、若い方にも、お互いがそれぞれの考え方に影響を受けて、良い刺激となって、人生を豊かにしてくれる。そんな効果があるのではないか、と思った。

 

けれど、年齢差を超えた友人関係って、日本ではあまり見かけない気がする。実際、自分の友人関係を振り返ってみても、10歳以上年の離れた友人はほとんどいない。

日本では「年齢差」=「世代間ギャップ」=「お互いの世代の批判合戦」になりやすい。歳を重ねている人は若い子を見れば「あの世代は軟弱でダメだ」と言い、若い世代も歳を取っている世代の行動を見ては「あの世代は自己中だ」と言う。若い世代も、歳を取っている世代も、自分たちの属する「世代」というものに囚われて、相手を見る目にフィルターがかかっていないだろうか。そのフィルターで本来得られたであろう最高の友人に出会うチャンスを逃してしまってはいないだろうか。

 

同質な集団で同じ時間を共有するだけ、一緒に遊びに行くだけが友人ではない。

人生の節目節目で話をし、お互いの考え方に刺激を受け合う。それも友人の一つの形だと思う。

 

世代に囚われたフィルターを一度外して、まずは人として相手を対等に見てみる。その上で自分と気が合うなら関係を深めていけばいいし、そうでないなら深入りする必要はない。人間関係はそうやって主体的に自由に構築していっても良いものではないだろうか。

 

「相手を年齢差・所属など関係なくフラットな目で見て、一人の人間として接する」こと。人生を豊かにする基本姿勢。何歳になっても忘れず心がけたいな、と思った。

 

 

 

 

 

 

2017年の振り返り

2018年も始まって5日が経とうとしている。

今年は自分の体調を言い訳に、ほとんど寝正月な三が日を過ごした。しかし、そろそろ頭を切り替えてエンジンを少しずつかけていきたいと思う。

 

新年最初のブログは昨年の振り返りから。

昨年の1月に立てた目標は達成できたか?

 

答えは三分の一がYes、三分の二がNoだ。下記に振り返りを記す。

 

<2017年の目標>

■仕事編

・広報としてPR戦略を立て、実行できるようになる。

抽象度の高い目標ですが、自大学の強みを効果的にPRできるようになることが最大の目標です。PRって一人ではできなくて、教員や他の職員を含め、色々な方をうまく巻き込んでやっていく必要があります。今年は色々な方を良い意味で巻き込んで、大学を盛り上げていきたい。

→達成率は50%。昨年は広報に理解を示し、各部署・学科での情報を教えてくれたり、取材等の協力をしてくれる教職員が約2倍に増えた。ここ約2年間の地道な働きかけ、取り組みが実を結んできたようで、少し嬉しい。ただ、自大学の強みを効果的にPRはできていないので、これは引き続き課題であるように思う。

 

・PRプランナー資格認定試験二次試験通過

 広報としての考え方を学び、身につけ、その力があることを示す1つの指標として取得したいなと思います。

→達成率50%。PRプランナー資格認定試験は3次試験から1次試験まで、三段階の試験がある。私は昨年、3次試験に通過し、PRプランナー補の資格を取得した。残念ながら自分のスケジュール立てミスにより昨年中に2次試験を受けることができなかったので、今後の目標として引き続き掲げていきたい。

 

日経新聞を読む癖をつける

→達成率100%。この目標は昨年中に達成できた。毎日届く新聞や(溜めがち)電子版での記事を読むようになり、以前より教育関係を始め様々な記事にアクセスするようになった。

 

TOEIC 800点を目指す

 →達成率0%…。昨年はそもそも受験をすることすらできなかった。

 

■プライベート編

・朝活する

 →達成率0%。言い訳になってしまうが 、妊娠後、体調管理のために睡眠時間を多く取るようにしている。その結果、朝いつもより一時間早く起きて活動する朝活は一時休止中だ。

・母校に寄付をする

 →達成率100%。母校に出身学部の奨学金として、少額ではあるが寄付を行った。寄付をした後に届いた書類など、他校がどのように手続きを行っているかなど勉強になった。

・車を運転する

 →達成率80%。昨年夏に房総半島にドライブに出かけ、私も何箇所かで運転した。現在は体調のこともあり運転を止めているので、また感覚を取り戻す必要がある。 

・音楽とカメラを上達する

  →達成率50%。趣味の音楽の方では色々とやったが、カメラの方はあまりできなかったので。今年は少しでもカメラに触れたいなあと。

・スマートに、おしゃれに

 「あまりお金をかけてないけどおしゃれな人」を目標に。いろいろ研究して、自分らしくおしゃれになりたいなと思います。ペンネームの通り、私は女です。目標と関係ないけど、今後少しずつ女性の大学職員のキャリアや女性の生き方についても記事を書いていけたらなと思います。

 →達成率70%。昨年はプチプラだけど可愛い靴屋さんを見つけたり、自分が好きな洋服の種類がなんとなくわかってきた。子供が生まれれば今まで通りの洋服で、という訳はいかないと思うけれど、動きやすいけど自分に似合う服を見つけて、柔軟に楽しみにながら自分の生活を変えていけるといいなあと思う。

 

できていないこともたくさんあるが、振り返ってみると達成できたこともたくさんあるなあと思った。個人的な目標だけでなく、自分自身の仕事・関係する仕事についても、その進捗状況や達成したことを時々振り返ってまとめてみると、これまで気づかなかった自分のスキルや仕事に関連する環境の変化などに気付けるかもしれない。

 

以上が昨年の振り返り。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

【読書記録】「ワタクシハ」羽田圭介

「就職活動」というと何を思い浮かべる・思い出すだろう。

世代によって思い浮かべるやり方、風景は違うのではないだろうか。

 

昨日読了した羽田圭介さん著『ワタクシハ』は、リーマンショック後2009年ごろの就職活動を描いた小説だ。

 

主人公・太郎は高校時代に超技巧系のギタリストとして、メタルバンドでメジャーデビューを果たす。しかし、バンドは諸事情で解散。大学に進学するも、プロのギタリストとしては鳴かず飛ばずで、3年生を迎えた時に周りの影響を受けてなんとなく「就職活動」を開始する。

自分はメジャーデビューをした”人と違う人間である”というプライドと、希望する企業から内定をもらえない現状に葛藤しながら、自分の生き方やなんとなく始めた「就職活動」に真剣に向き合っていく。

 

ストーリーはざっと 上記の通り。

「就活は学生側も採用する側も、非常に曖昧な基準で動いているのだ」、「就職活動がゴールではなく、その先に働くことと人生が続いているのだ」という筆者の「就職活動」を捉えた視点が物語の中で何度も感じられる小説である。

 

これから就職活動を控えている人、就職に関するあらゆるビジネス・支援に携わっている人には、若い世代が経験している「就職活動」がどういうものなのかを疑似体験するためにも是非読んで欲しい。

 

日本の就職活動は、不思議な仕組みだと思う。

採用、不採用の確率がその年の景気動向でガラリと変わってしまう。

就職氷河期の時代、リーマンショック後およそ5年の間に就活をした人は、今の就活生に比べて非常に厳しい条件の中で戦ってきた。(昨日の日経朝刊、平成30年間を振り返る記事の中に新卒採用の求人倍率が載っている。気になる方は是非チェックを。)人生に”タラレバ”は良くない。「もしも〜していたら」なんて考えて憂いている時間が無駄である。しかし、それでも少し考えてしまう。厳しい時代に就活を経験した人が今大学生に戻って就活をしたら、希望の企業に入れていた人も多くいるのではないか。そう思うと、「就職活動」とはなんとも不平等なシステムだと思わざるをえない。

 

そして、自分に適した仕事を新卒の就職活動時期に決めるというのも、人生100年と言われているこの時代に非常に乱暴な話である。若手が早くに辞めて転職活動市場が賑わうというのも頷ける話。企業で実際に働くことができるインターンシップが徐々に増えているのも、良い流れだと個人的には思う。生き方、価値観は人生の途中で変わることもある。副業を始め、働き方や人材の流動性はもっと柔軟でいいのではないかと常々思っている。

 

いつか人事や就職課など、「働くこと」に関わる仕事をしたい。働き方や働くことに関する考え方を少しでも変えることができたら、人生をもっとハッピーに過ごせる人が増えるのではないか。自分自身の経験や周りの友人・知人を見ていて、そう思う。広報も面白いし、やりがいはあるのだけれど。

 

以上、大晦日の夕方に星野マリエが思ったこと、でした。

大学職員と女性のキャリア②

昨日のブログの続き。

大学職員という仕事では、仕事か家庭かという二項対立の選択を迫られることが非常に少ないという話。
 
昨日のブログにTwitterでorangeさんからコメントをいただいた。
 
まさに仰る通りで、大学という職場には公的機関のような側面もあるため、産休育休、福利厚生に関する制度が非常にしっかりと整備されている。そして制度が整っているだけではなく、もう20年、30年とその制度を動かしてきているので、名ばかり制度なのではなく、制度を活用している実績もかなり積まれているところが多い。だから、女性は子供ができても追い込まれて辞める選択をしなくていいし(もちろん辞めたければ辞めていい)、キャリアを継続していくことができる。
 
また、周りの先輩、上司を見ていて思うのは、子供がいるからという理由のみで任される仕事・役割を区別されることがないということ。良くも悪くも、だ。
 
子供がいても、本人がやる気があって、やれる環境にあるのであれば、仕事をむやみに減らされたり、軽い仕事に転換されることはない。また、マネジメントをやりたいと思うのなら、同期より少し時期は遅くなってしまうものの、能力があると認められれば課長部長職につくことも可能だ。(子育てを経験した女性課長、部長を自大学・他大学含め何人も見ている。)
 
もしかしたら、大学での仕事の多くが数字として成果がでるものではなく、数字をシビアに評価されてノルマを課すような仕事ではないから、これらの特徴があるのかもしれない。
 
けれど、女性もキャリアを描きやすい職場であるということは、仕事も家庭も同じくらい力を注ぎたい女性にとって、魅力的な仕事なのではないかと思う。教育に関する仕事に意義を感じていて、これからの世代と関わって育てることに楽しさとかやりがいを感じられる人で、仕事も家庭も同じくらい力を注ぎたい人には、オススメの職場なのだと思う。
 
家庭、と書いたけれど、これは別に家庭でなくても良い。プライベートで何か活動をしたい人や趣味・スポーツに力を注ぎたい人も同じく当てはまる話。(大学職員をやりながら、スポーツチームのコーチをしている人も沢山いる。)
 
私の場合、パートナーの転勤というリスクがあるために今の職場で働き続けられるか不明で、まだ今の仕事を今後も続けていくのか迷っている部分もあるけれど、まだ今の職場でやりきれていないことがあるように思うので、しばらくは今の職場にお世話になるつもりだ(こんなことを書いておいて、居心地が良くなって何十年も続けているかもしれない)。
 
ただ、今回は女性のキャリアということで書いたけれど、課題もある。子育てに関する制度や仕事への取り組み方が整っているからといって、男性がそれらを利用できているかというと非常に怪しいのだ。多様性を重視する社会というならば、男性職員も男性教員も、子育てに関する制度や仕事への取り組み方を活用できるようにならなければいけない。
 
大学という職場もまだまだ働き方を見直す必要はあるのかもしれない。
 

大学職員と女性のキャリア①

久々のブログ。1ヶ月以上間をあけてしまっただろうか。

 

ここ数ヶ月ほど、プライベートで色々立て込んでおり、ブログをサボってしまった。サボったことで文章を書くのが下手になっている気がするが、構わず書いていきたい。

 

今回書きたいテーマは、「大学職員と女性のキャリア」。これは持論だけれど、大学という職場は女性が仕事もプライベートも両立しやすい職場だと思っている。(女性の活躍が叫ばれている現在、これって仕事を探している優秀な女性にとって非常に大きなポイントではないか。採用担当の皆さんいかがでしょう。)

 

なぜ唐突にこのテーマなのか。

 

実は私、この度子供を授かることができた。

多嚢胞性卵巣という持病(体質?)があり、子供が欲しくてもなかなか授かれない、不妊治療が必要だったかもしれないので、自然妊娠で授かれたのは本当にありがたいと思う。やろうと思っていた勉強、取ろうと思っていた資格、動こうと思っていたことは少し後ろ倒しにせざるを得ないけれど、1人の人間を育てるという大仕事を小さい頃からやってみたかったので、これから少しの間はそちらに大きな力を振り向けたいと考えている。

 

で、この春から一年ほど出産や子育てのためのお休みをいただくわけなのだが、今後の仕事や働き方を考えたり、学内の制度を調べたり、職場の先輩や上司・他大学の友人知人を見ていて、改めて大学業界の女性のキャリアの描きやすさを実感している。

 

以前、Twitterでこのような記事をシェアした。

https://r.nikkei.com/article/DGKKZO23178070X01C17A1NZBP00

「育休からの復帰 早いほどお得に」日本経済新聞 2017.11.7

 

大手企業を中心に複数の企業で、女性が育休から早く復帰することでキャリアを継続して上を目指せる制度を整えているよという内容の記事だった。しかしこの制度、ナンセンスである。そもそも昇進を勤続年数を重視して決めていることが今の時代遅れているし、女性の活躍やダイバーシティなどとうたうのなら、一律で早く仕事に復帰させるのではなくて、働く人の背後にある事情を考慮しつつ、能力をきちんと評価して配属や昇進を決めるべきなのだ。

 

なぜ女は、最近では男の人も、仕事と家庭・プライベートを二項対立で考えねばならないのだろう。選ばねばならないのだろう。本来それらは別次元の話で、強く意識せずとも両立できて当たり前のものではないのだろうか。

 

話が少しそれてしまったが、大学という職場ではこのような家庭を取るか、キャリアを取るかという二項対立の選択がほとんどない。(いや、私の職場や周りの友人たちの職場が恵まれていて、例外はもちろんあると思う。)

 

長くなってしまったので、詳細は次のブログで。

続く。

 

 

 

 

「大学職員=ただの事務員」の時代は終わっている

先日、とあるブログを流し読んでいた。その中で気になった(気に食わなかった?)一文がある。


「ただの事務員でこれだけの給料もらえるなら〜」というもの。


大学職員って、「ただの事務員」なの?


SDの義務化だ、これからの時代の大学職員の役割だ、様々な仕組みが作られ、様々な議論が交わされている中で、もう大学職員が「ただの事務員」だった時代はとっくの昔に終わっていると思う。


一般的にはまだ「大学職員=事務作業をやっている人=超楽な仕事、仕事内容の割に給料が良い」という認識は根強い。(だから、この仕事に意義を見出して働いている人は、時々周りの評価や意見にモヤモヤすることもあるのではないかと思う。私はそうだ。)


だけど、今現在の大学職員の仕事って、全然楽ではない。


別に大学の規模感は関係なく、今は少しずつでも改革・改善をしなければ大学は生き残っていけない時代。どの部署にいたつて、大なり小なり改善力・企画力が求められる。昔よりもはるかにステークホルダーが増えているから、折衝能力・調整力も求められる。部署によっては営業力も必要だし、プレゼン力も必要だ(例えば入試、就職系の部署)。もちろん、場所によって仕事の仕方・性質が違うから、その人にとって向いている仕事であれば「楽だ」と感じることもあるかもしれないけれど。


これから大学職員を目指す人には、もう一度なぜ大学職員になりたいのかを考えてほしい。楽したいから、という理由なら、他の仕事でもよくない?もう一度考え直してほしい。


狭い世界だし立場の違う人が沢山いる世界だから、人間関係は意外と複雑。体力的には確かに楽でも、精神的にはキツイこともある。


教育というものに興味がある、意義を感じている。大学という場所に思い入れがある、面白みを感じる人は、きっと大学職員になって多少嫌なことがあったとしても、乗り越えていけるはず。


大学職員の仕事を、必要以上に貶めるの、やめませんか。銀行、百貨店、メーカーなどの他の様々な仕事以上の価値があるとは言わない。みんな同じように大変で、悩みながら苦労しながらの毎日だと思う。仕事はみんな大変で、その中に少しでも面白みを見つけながら働いていくのだと思うのだ。


つらつらと、先日感じた違和感を述べてみた次第。仕事のミスマッチが少なくなればいいのにな、と思う。