大学職員のスピーチ

都内某大学職員。学生募集、広報に携わる。高等教育、教育業界、仕事、趣味について書きます。

2020年以降の私立大学進学について思うこと

2020年に開催される東京オリンピック

今、日本経済はオリンピックに向けた観光客誘致や街の整備、会場整備により上向いているようです。

2020年まではこの景気、おそらく続くでしょう。景気がいいということは、就職市場も新卒売り手市場になりやすい。新卒売り手市場になると、就職に対する不安から資格至上主義で受験生が動くことはなく、自然と文系学部(特に経済系)の人気が高まってきます。また、学費を懸念した国立大人気も収まり、私立大学への進学も増えているようです。


何が言いたいか。
2020年までは大都市圏、特に首都圏の多くの私立大学は志願者募集に大きく困ることはないのではないかと思うのです。(多少困ることはあるかもしれません)

問題はその先。
2020年以降の日本社会がどうなるか。

オリンピックが終わった後、好景気が落ち着く都市も多い中で、東京はどうなるか。日本はどうなるか。

好景気が落ち着くのであれば、私立大学の志願者募集はまたリーマンショックの頃のように厳しくなる時期が来るかもしれません。

2年先を見越して、先手を打っておきたい。ともすると詐欺になってしまう大学広報で、誠実に、でも知名度を上げるべく知恵を絞って、大学の特色をPRしていくにはどうしたらいいか。

答えは出ません。正解は各大学でそれぞれのはず。今日できることから少しずつ取り組んでいけたらと、日々の仕事に意味を見出したい今日この頃。

【読書記録】「センスは知識からはじまる」水野学

こんばんは、星野マリエです。

どうにもブログを書く習慣が身につかない。一ヶ月半も空いてしまいました。

ブログの書き方を変える必要があるか。

読書記録も文章力強化の訓練としてやってみたいと思います。気になる本があれば是非ご一読下さい。

 

1ヶ月ほど前に読了したのが、この本。

「センスは知識からはじまる。」水野学著

 

センスは知識からはじまる

センスは知識からはじまる

 

広告業界の人の考え方を知りたくて、購入。本当にザックリ要約すると、センスは天性のものではなくて、膨大なインプットから生まれるということが書かれた本でした。

 

広報やっていると、いろんな人から自分はセンスないから広告デザインとか決められないだとか、センスがないからSNSできない、というような話を聞くことがあります。

 

でもそれ、実は言い訳になってしまうかも。

著者の水野学さんはデザイナーですが、会社や商品を世の中に広めていくプロデュースもやられている方。ある商品に最適なデザインやPRをする上で、日頃から行なっている雑誌のリサーチや人間観察、読書などから得た知識や知見を結びつけて、新たなデザインやPR方法を生み出しているのだそう。

 

センスがいい人は、実はそのことに関して人の何倍も情報を得ているだけなのかもしれません。

 

センスがない、を言い訳にせず、日頃から様々なインプットをしていかねば、と広報として改めて思った次第。と同時に、趣味でもなんでも、どんなインプットも無駄にならない。どこで生きてくるかわからないな、と思いました。

 

私が大学職員を志した理由と現在の心境②

こんにちは、星野マリエです。
前回に引き続き、「私が大学職員を志した理由と現在の心境」について書いていきたいと思います。だいぶ間が空いてしまって申し訳ありません…

 

まずは、前回のおさらいから。
私が大学職員を志したのは、第一志望の広告業界の選考に全て落ちてしまったことがきっかけでした。次にどの会社を受けようか考える中でもう一度進路を考え直し、「大学職員」という選択肢を選びました。

 

 

では、なぜ方向転換で大学職員を選んだのか。その理由は、大きく分けて2つあります。

①働き方が自分の理想像にフィットしていた

②仕事に求める価値が自分の理想にフィットしていた

 

上記二点が理由です。
詳しく見ていきます。

 

 

①働き方が自分の理想にフィットしていた

これは方向転換を考えた際、「自分は一体どんな将来を望んでいるのか」をもう一度フラットな状態で思い描いた結果、出てきた答えです。

 

人生の中で一体何を大切にしていきたいのか。これは各個人が育ってきた家庭背景やそれぞれ持つ考え方の影響があるため、人によって答えは多様だと思います。

 

私の場合は、当時付き合っていたパートナーと結婚して家庭を持つこと、子供が生まれても働けることが大事な条件でした。

もっと具体的にいうと、家庭を大事にするために、勤務先の条件として
・全国転勤がない
・ある程度の時間で帰れる
・育休産休、時短などの制度が整っている
・休みがきちんと取れて、身分保障もしっかりしている
ということが譲れない条件として私の中にあったのです。

 

しかし、上記の条件を満たす職場なら、例えば銀行や商社などの一般職でもよかったはず。

そういった一般職ではなく、なぜ大学職員だったのかというと、私の性格や行動の傾向上、コツコツ型の事務の仕事よりも広く色々な仕事を経験できる総合職として働きたいという思いが強かったからです。

 

大学職員は基本的に総合職として採用されます。広く様々な仕事を経験しながらも、多くの大学で「全国転勤なし」という条件をクリアでき、私の理想とする働き方にフィットしていました。

 

 

②仕事に求める価値が自分の理想にフィットしていた

また、働き方だけでなく、「仕事について自分はどう考えているか」ということも改めて考え直しました。

 

働き方だけでなく、仕事を通じて何がしたいのか、仕事を人生の中でどう位置付けるのか。これもまた、人によって様々な考え方があるものです。

私自身は、どうせ働くなら自分の携わった仕事が目先の利益ではなく、何年も先の未来の社会に生きてくるような仕事がしたいという思いがあることに、自分と向き合う中で気づきました。

 

大学職員という仕事は、その大学を作った人の創設の想いを引き継ぎ、未来に向けて大学を残していく仕事であり、誰かの人生に大なり小なり確実に影響することができる稀有な仕事です。

 

改めて自分がどんな道に進もうか考える中で、自分が理想とする仕事像フィットするのは、大学職員だという結論に至ったのでした。


以上が私が大学職員を志した理由です。大学職員の採用試験でも、特に②の内容については面接の中で必ず話していました。

 

大学職員を志す方は、大学職員の待遇(最近では必ずしも良くはない?)は一旦横に置き、仕事に求める価値をぜひ一度考えてみていただきたいです。

なぜなら、大学職員は今後、決して割りの良い仕事ではなくなるからです。

大学は少子高齢化の波を真っ先に受けます。いわゆる斜陽産業にあたります。それぞれの大学が生き残りをかけて、必死になって仕事をしているような中で、沢山のステークスホルダーの間にもみくちゃにされながら仕事をしなければなりません。

 

そんな状況で心が折れそうになった時、立ち戻れる価値観があると、挫折せずに(愚痴は吐けども)その場に立っていられると思います。

 

 

と、カッコつけたことを言ってみましたが、私の現在の心境は、少し複雑です。

 

まず、仕事内容や現在の仕事に就いたことについて後悔はありません。やはり思っていた通りの職場で、自分の価値観にもマッチした仕事でした。働き方も思っていたものと相違はなく、ありがたいことに私の勤める大学では、自分の思ったことを自由にやらせてもらえる環境にも恵まれています。

 

ただ、今後のキャリア形成については迷いがあるのも事実です。

 

その大きな理由は、今の職場で働き続けられるかどうかが分からないということにあります。それはいくつか要因が重なっており、パートナーの海外転勤、自大学の学生募集状況、自分自身の仕事の価値観の変化が主な要因です。

 

今後の人生を共にするパートナーは、確定ではありませんが、海外転勤がありえます。海外転勤になった場合は私も転勤先についていき、彼の生活をサポートしたいという思いがあります。その場合、2年は確実に海外で暮らすこととなるため、現行の就業規則では休職はできず、辞めるしかないなと思っています。

 

また、自大学の学生募集状況を見ていると、ここ数年が勝負であるように感じます。生き残るか、他大学に負けてしまうか。後者だった場合、勤務先が何年か先になくなってしまうことも想定して働かねばなりません。

 

そして、この数年働いてみて、仕事としてチャレンジしてみたいことが2つほど出てきました。まだ迷うところではありますが、チャレンジすると決めた場合、現在の仕事を辞めることも考慮しなければならないかもしれません。

 

大学職員の仕事を通して身につく知識やスキルは、大学業界でのみ通用するような知識、スキルであることが多いです。上記のように辞めざるをえない状況になった場合、大学職員の経験値だけで、その後のキャリア形成に結びつけていけるのかについては不安に感じることもあります。

 

現在、私は今後の自分のキャリアを見据えていくつか資格を取ったり、勉強会に参加したりして力を蓄えようと考えているのですが、その話は長くなりそうなのでいずれ別な記事としてまとめたいと思います。

 

もし仕事に関する質問などありましたら、ぜひコメントくださいませ。

それでは、また:)

 

星野マリエ

 

私が大学職員を志した理由と現在の心境①

ご無沙汰しております。星野マリエです。

今、広報の仕事が佳境です。

 

ある冊子を作っているのですが、原稿の確認に追われる毎日。

なかなかブログ記事作成への気力もわかず、更新が滞っておりました。

年初のやる気はどこへいったのだ。目標を達成すべく、頑張ります。

 

さて、3月は就職活動の情報解禁の季節ということで、今日から3回くらいに分けて「大学職員という仕事への志望理由」と「実際に働いてみてどう思うか」ということについて書いていきたいと思います。大学職員を目指している方に向けて、擬似OBOG訪問になれば。

 

 

このブログを読まれている皆さんは、どのような理由で大学職員を志望されている(されていた?)のでしょうか。 私の場合は、新卒で大学職員の採用試験を受けたタイプですが、残念ながら前向きな理由ではありませんでした。第一志望にしている皆さんから総スカンを喰らうかもしれません。

 

「第一志望の業界の選考に全て落ちたから」

 

これがまず1つ目の大きな理由です。方向転換組です。

 

 

もともとは大学時代に学んでいた「若者文化」や「統計学」の知識を生かして、広告業界を目指していました。広告の仕事の中でも、特にストラテジストやマーケッターといった仕事がやりたかった。

 

社会を俯瞰して見ることが好きだったし、若者には今何がトレンドで、若者の気風はどんな感じかを考えるのが好きだったので、その周辺領域に携わって社会の流れを作れたらなあと漠然と思っていました。

 

最終面接直前までいった会社もあります。でも、全て落ちました。

なぜ落ちたのか、理由は自分でよくわかっています。

 

私の中に、就職活動を通して「無理して、背伸びをしていた部分があった」からです。それは結構複雑です。

 

自分自身のこれまでの学歴や取ってきた成績へのプライドが、「大手じゃなきゃ」「難関企業じゃなきゃ」と偏った選択をする一因となっていたり(要領は良かったので成績はいわゆる”優秀”と言われる層に入っていたと思います)。

また、小学校〜大学という学校に通っていた期間に、いろんな物事に対してチャレンジをしてこなかったし、できなかったので、「自分は一体何をすることができて、何に興味があるのか?」ということを客観的に掘り下げることができませんでした。要するに、限界まで興味のあることを突き詰めたり、バイトでもなんでも、やってみたいと思うことを突き詰めてこなかったので、自分の能力に対して”幻想”を抱いてしまっていたのです。実際そんなことはないのに、やってみれば出来るっしょ、と軽く考えていました。

それから、自分自身の価値観をよく理解していなかった。仕事を選ぶ際の価値観は人それぞれです。社会を動かすような仕事をしたい、それが大事な価値観の人もいれば、プライベートを大事にしたいから堅実な仕事をしたいという価値観の人もいます。私にとって一番大事なものは「結婚して子供を育てていくこと」でした。もちろん、正社員として働いて、責任のある仕事はしたい。けれど、広告会社で働いている方々がとても大切にしている「社会を動かす仕事がしたい」「面白いことをやってやりたい」というような価値観は、私の中では優先順位が低かったのです。

 

 当然の結果として、広告業界の就職活動は失敗。

方向転換を考えた時に出てきた選択肢が「大学職員」というものでした。

 

<続く>

 

星野マリエ

 

P.S. 今思えば、広告会社に就職していなくてよかったなと思います。当時はだいぶ傷つきましたが…。価値観が大きくずれていたのだから、広告会社に勤めていたら、おそらく今頃病気になっていたり、心を病んでいたり、とにかく良くない状態だったと思います。

 

就職活動でも、転職活動でも、自分が何を大事に思っているのか、価値観を探るのは大事なことだと思います。それは結構直感的なものかな、と個人的には思う。色々な会社の求人を見て、ここはいいかも、と直感的に思った会社の求人票を集めて、自分はどの条件に惹かれているのか、なぜ惹かれているのかを考えてみると、仕事を選ぶ上での価値観は少し見えてくるかなと思います。

学ぶということ

高校生の集中力はすごい。

 

今日は入学試験の試験監督として仕事をしていて、試験の最中に高校生を見ていて思ったことである。

 

高校生、特に受験を控えている子たちは、入学試験の1日のために(およそ1時間×3〜5コマのために)、高校時代の半分くらいの時間を受験準備の勉強に費やしているのだ。(もちろん、人によっては部活にほとんど時間を割いた人、留学した人など、受験準備にそれほど時間をかけない人もいる。)

 

「大学に入ったら好きなことができる」

 

自分自身が受験生だったときを思い返しても、そんな長い時間を勉強に割くほとんどの受験生のモチベーションはこれに尽きるように思う。バイトがしたい、好きなアーティストのライブに行きたい、彼氏彼女が欲しい、アメリカに行きたいなど、数々の「やりたいことリスト」をいち早く実現させるために、”今は我慢して”勉強を頑張るのだ。

 

「学ぶこと」を楽しんで勉強している高校生は日本にいったいどれくらいいるのだろう。

 

 

学ぶことは世界を開くこと

 

「学ぶこと」は確かに大変なことである。本を読んだり、調べたり、実際にやってみたり、時間はかかるし、お金も物によっては多少かかる。

 

けれど、「学ぶこと」は世界を開くことであり、自由を獲得する楽しさが伴うことなのではないだろうか。

 

未知を「知」に変えていくことで、見える世界がどれだけ広がるだろう。できることがどれだけ増えるだろう。もう進めない、行き止まりだと思っていた道に、実は上をよく見てみたら手の届くところに梯子がかかっていて、進めることができたようなものである(例えがわかりづらいか)。思考がいつどんな時も自由になれるのだ。

 

世の中の物事は良い・悪い、好き・嫌いなどの二項対立で成り立っている訳ではない。今、日本を含めた世界は少し極端な意見に偏りやすくなってしまっているが、思考が自由なら、そのような状況下でも”真ん中”を選択していられるのである。いや、もしかしたら、あえて真ん中ではなく、どちらかの意見に寄ることもあるかもしれない。

 

思考が自由であるということは、誰かの意志や世の中の流れなどの大きな力に左右されないということで、つまるところ「私が自由でいること」なのだ。要するに、学ぶということは、私の自由を獲得することなのである。ずっと一つの部屋にしか入ることができない状態よりも、自由気ままに海外へも旅行できる状態の方が圧倒的に楽しい。学ぶことの楽しさは、「行動範囲が広がる楽しさ」のようなものなのかもしれない。

 

だから、自分への戒めも込めて。

 

学び続けることを人生が終わるその日までやめないように。自由を得る楽しさを感じながら学び続けたい。止まってしまっていた本を今日からまた読み始めたいと思う。

 

やれること、やりたいことから少しずつ。

 

星野マリエ

大学の地方移転

こんにちは、星野マリエです。

 

週1回ブログを更新するルールを設けたのに、あっさり1ヶ月半で破ってしまいました…。きちんとした文章を書くというのは、思っていた以上に労力の必要なことなんですね。ブログだし、論文と違って軽く書けるだろ〜と思っていた自分に喝を入れたい。なるべく正確なことを書きたいと思うと、意外に時間がかかります。これからもなるべく週1回ルールを厳守して、きちんとした文章を書いていきたいと思いますので、ぜひ気長にお付き合いいただけますと嬉しいです。

 

さて、今日はタイトルの通り「地域創生と大学」をテーマに少し書いていきたいと思います。

 

この記事を書こうと思ったきっかけは、下記のニュース。

zasshi.news.yahoo.co.jp

 突っ込みたいことはいくつかありますが、記事の内容やクオリティについては置いておきます。上記の記事をザクッと簡単に事実だけまとめると、こんな感じです。

 

日本の大学は世界から取り残されている!!

         ↓

政府は大学を地方移転させたいと思っているよ

 

はい。記事は論点がかなり飛躍?間違って?いると思うのですが、それは置いておいても、確かに「大学を地方移転させよう」という議論は行政の中でなされています

 

議論の主体は「まち・ひと・仕事創生本部」。これは、今何かと話題になっている「地方創生」に取り組む事務局です。人口急減・超高齢化という課題を解決するために、各地域がそれぞれの特徴を活かして、自分たちでこれからもずっと維持していけるような社会を作ることを目標に、様々な議論や施策の実行を担っています。(ちなみに、地方創生に取り組むのは「まち・ひと・仕事創生本部」だけではなく、「内閣府地方創生推進事務局」という組織もあります。二つの組織が連携し合って地方創生に取り組んでいるようです。)

 

その「まち・ひと・仕事創生本部」が設けた「地方大学の振興及び若者雇用等に関する有識者会議」の第1回が、先日2月6日に行われました。会議の資料を見てみると、論点の中に「東京の大学・学部の地方移転(サテライトキャンパス等)についてどう考えるか」というものも入っています。

 

www.kantei.go.jp

 

資料をもとに思考プロセスをたどると下記の通り。「まち・ひと・仕事創生本部」のHPに掲載されている資料の中では、総務省統計局の調査結果などを示しながら議論を進めています。

 

人口が東京に一極集中している。地方を担う人材の育成と確保が急務。

②東京など大都市圏に人口が集まるきっかけは「大学進学時」にありそう。

  a)東京圏への転入の大半は「15〜19歳」「20〜24歳」の層

  b)10代、20代の東京圏への転入理由は「進学」「就職」が多い

  c)東京圏に移動した人のうち、東京圏での生活を志望したのは半数程度

③東京圏の進学者のうち、約35万人が地方出身者だと推察できる

④企業の本社機能一部移転や地方に本社を置く企業への支援を行い、仕事を地方に。

 大学も地方に持ってくることで、若者の大都市圏流出を減らせるのでは?

 

大学進学時に大都市圏へ若者が出ることで、地域から若者が流出してしまうなら、大学を地域に持ってくれば若者の流出が収まるのではないか、という議論の流れのようです。

 

学費が安くて、家から通える範囲の大学を選ぶ傾向にある最近の高校生。遠方にあった大学が都心回帰をするのがトレンドの現在に、大学のある学部が地方移転をしたとして、早慶クラスの大学でも、どれだけの志願者が集まるでしょうか。志願者が集まったとして、果たしてどれだけその地域に若者が定着するかについては疑問に感じるところが大きいです。

 

問題の根本は、魅力度が「地元<東京・大阪・名古屋・博多」となってしまうところにあるのではないでしょうか。だって明らかに東京、大阪、名古屋、博多の方が生活してて楽しい。遊ぶ場所、買い物する場所、食事をする場所、全てにおいて大都市圏の方が特色があって、選択肢がたくさんあって、楽しいのです。地方に行くと、幹線道路沿いに車販売店、松屋とか中華麺的なラーメン屋さんとか、マックくらいしか見当たらない。買い物をするにも、商店街はシャッター通りと化し、イオンとかしまむらくらいしかない。駅前も地元のデパート(おばあちゃんしか見かけない)と地銀、駐車場とその地域の有名な人の銅像くらいしか見当たらない。

 

大学を地方移転させるだけではなく、地方に用途不明の施設を建てるのではなく、「生活者」にとって魅力的な地域を作っていくことが求められているような気がします。

 

とはいえ行政が決定したことは、大学という組織、守っていかねばなりません。まして大学の地方移転となると、キャンパス整備や学生募集などの面で大きなエネルギーが必要になってきます。今後の議論の展開を見守っていきたいと思います。

 

以上、星野マリエでした。

CU:)

 

P.S.  ちなみに…今、大学業界では「地域活性化」というのもホットなキーワードです。グローバル展開を目指す大学がいる一方で、いかに地域密着型で存在できる大学になるかということを考えている大学もあります。文部科学省も「地(知)の拠点大学事業」や「私立大学等改革総合支援事業 タイプ2 地域発展」など、地域連携・地域貢献・地域発展に関して特色ある取り組みを行う大学に補助金を交付しています。

 

就職活動や転職活動で大学職員を目指す方は、自分の志望する大学がどのような取り組みを行っているか調べてみると、その大学が目指すところが見えてくるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日常の見方

「毎日がつまらない」

そう思うことはないだろうか。

 

朝起きて、身支度をして、(詰めれば少しは余裕を持って乗れるのに後ろに詰めようとしないおっさんにイライラしながら)すし詰めの電車に揺られて、学校や会社に出かけて、終わらない課題や仕事に悩まされながら遅くまでパソコンと向き合って、帰ったら録画したドラマを観ようと思っていたけど、疲れすぎて寝てしまったりする。そんな毎日。

 

「何か刺激が欲しい」「単調な毎日を変えたい」

そうは思うけれど、新しいことを始めるお金もないし、気力もない。そもそも何をしたらいいのかも分からない。

 

途方にくれるような悩みだけれども、「つまらない毎日」を変えるのは実は簡単なことなのではないだろうか。

 

新しいことなど始めなくても、ほんの少し「日常の見方」を変えるだけでいい。「日常の出来事の切り取り方」を変えるだけでいい。それだけでいいのかもしれない。

 

そんなことを、昨日、東京藝術大学の卒業制作展に行って思った。なぜなら、どの作品もテーマは日常の中にあって、表現の仕方は違えど、日常を切り取って形作られていたからだ。

 

例えば、女子高生3人組が帰宅の途についている後ろ姿をモノトーンの油絵で表現した作品があった。仲のいい女子高生グループが学校終わりに寄り道をしながら帰宅する姿など、日本国内ならどの地域でも見られるし、何も特別な風景ではない。

 

しかし、キャンバスの中に描いて白黒の油絵として完成すると、何か特別な場面のように思えてくる。

 

学生が普段過ごしている「教室」だって、3・4種類の緑色で立体的な四角形を使って描けば、何だか宇宙空間のような異質な空間に見えてくる。

 

そう、「つまならい」と思っていた日常はほんの少し見方を変えるだけで、実は異質で、特別で、時にキラキラしたり、悲しげな風景になったりするのだ。

 

人生は一度きり。どうせ生きるなら”面白く”生きていきたい。

 

つまらない毎日だと感じる時、例えばスマフォから視線を上げ、イヤフォンを外して、周囲に目を凝らしてみる。周囲の音を聞いてみる。すると、これまで気づかなかった「日常の風景」に出会えるかもしれない。つまらなかった日常が少し面白く見えてくるかもしれない。

 

日常を面白く切り取って、それを周りに伝えながら、楽しめる。そんな人になれたら素敵だと思う。

 

※「note」始めました。「note」に書いた記事の転載です。

 

note.mu