元大学職員のスピーチ

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社会で活躍できる人材を育てるのが大学なのか、という疑問

大学で働くようになってから、世の中には様々な「大学」関連のニュースや記事が溢れているなあと気付くようになった。特にここ数年、経済誌や週刊誌で大学関連の特集が目立つように思う。大学を様々な切り口からランク付けしたもの、大学という職場の現状をセンセーショナルに書き立てたもの、今トレンドの教育方法などなど。多様な特集が組まれている。

 

世間の人々は「大学」に関する話題がお好きである。大学で行われている実際の仕事を知らなくても、今取り組まれている教育方法や研究内容を知らなくても、自分達が通ってきた道・経験してきたことをもとに簡単に語れてしまうからだろうか。

 

大学に関する記事・ツイート・ニュースを様々眺めている中で、よく見かけるのが「グローバル化する社会で活躍できる〇〇な人材を育成していくべき〜」だとか、「これからのAI時代に適応できる人材を育成〜」だとか、”今後の予測不能な社会を切り開いて明るい社会に持っていけるような活躍できる人材を大学には育成してほしい”という論調である。

 

社会で活躍できる人材を育てるのが大学、というのは一見もっともな意見のように思えるが、果たして大学の役割はそれでいいのだろうか?

 

大学は学生を集めて教育を行っている側面から見れば、確かに「人材育成」の役割も持っている。しかしそれだけではない。学問を追究する場として「大学」というものが成立した歴史を考えるなら、大学は研究機関としての役割も持つし、大学の持つ資料(史料)という観点から見ればデータセンターとしての役割も持ちうる。

 

大学が持つ役割は多岐にわたっているのだ。

で、そこから何が言いたいかというと、大学は今の社会が求める「即活躍できる人材」を育成することは難しいのでは、ということである。大学で行われる教育の根元にあるのは「学問」であり「研究」だ。だからこそ各大学は研究機関を持っているし、図書館を有して様々な資料を集めている。各個人が所属する学部学科の中で、「〇〇学」という学問体系の思考法、社会・自然を分析する手段としての理論を学ぶのが大学の教育なのであって、(学科にもよるけれど)ある職業に直接結びつくような即効性のある学びをすることは難しいのである。(そもそも、即効性のある学びが本当に良い学びなのかはわからない。)

 

大学での学びに即効性はない。だから社会で役立たないかというと、そうではない。資料の探し方、正しい情報の見極め方をきちんと身につければ、それは仕事上でも役立つはずである。哲学や社会学など、仕事に直接は結びつかないような学問を学んだとしても、大学4年間で身につけた「世の中の見方」や「物事の考え方」は、その考え方を全く知らない人よりも思考の幅や視野が広がり、人生を豊かにしてくれる。大学の教育とはそういうものではないのだろうか。

 

それから、大学が社会で活躍する人材を育成すべきという議論には「大学での学びだけで全て終了していいのか?」という疑問を投げかけたい。人は何歳になっても変わるし、経験を積む中で考え方や行動の仕方も変わる。もし今、企業の中で自分たちが相手にする市場で活躍してくれる人材がいないと感じているのなら、それは企業の人材育成力不足、経験させる・行動させる環境不足も疑うべきではないだろうか。優秀な人は何歳になっても学び続けているし、行動し続けていて、自分の置かれたフィールドで何をすべきかを考え続けている。そういう人を企業が活かしきれていない、という実情もあるのではないか。(既得権益を優先したおじさんが踏ん反り返っていない?と聞きたい。)

 

世間の人々はなんでこんなにも「大学」に関心を持って色々と論じているのだろう。

根拠はないけれど、バブル崩壊以後、日本社会の停滞感を払拭できていないと感じている人が多いからではないか、と個人的には思っている。今のこの”なんとなく漂う日本社会のお先真っ暗感”をどうにかするには、若い人に活躍してもらわねば!だから大学には社会で活躍できる人材を育成してもらわねば!そういう思考回路、働いていないだろうか。

 

大学で働く者として、ただ目の前の業務を処理していくだけではなくて、「大学」ってどういう場所?自大学はどういう役割を担っていくの?ということは考え続けるべきことだな、と思った3連休初日でした。