元大学職員のスピーチ

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学ぶということ

高校生の集中力はすごい。

 

今日は入学試験の試験監督として仕事をしていて、試験の最中に高校生を見ていて思ったことである。

 

高校生、特に受験を控えている子たちは、入学試験の1日のために(およそ1時間×3〜5コマのために)、高校時代の半分くらいの時間を受験準備の勉強に費やしているのだ。(もちろん、人によっては部活にほとんど時間を割いた人、留学した人など、受験準備にそれほど時間をかけない人もいる。)

 

「大学に入ったら好きなことができる」

 

自分自身が受験生だったときを思い返しても、そんな長い時間を勉強に割くほとんどの受験生のモチベーションはこれに尽きるように思う。バイトがしたい、好きなアーティストのライブに行きたい、彼氏彼女が欲しい、アメリカに行きたいなど、数々の「やりたいことリスト」をいち早く実現させるために、”今は我慢して”勉強を頑張るのだ。

 

「学ぶこと」を楽しんで勉強している高校生は日本にいったいどれくらいいるのだろう。

 

 

学ぶことは世界を開くこと

 

「学ぶこと」は確かに大変なことである。本を読んだり、調べたり、実際にやってみたり、時間はかかるし、お金も物によっては多少かかる。

 

けれど、「学ぶこと」は世界を開くことであり、自由を獲得する楽しさが伴うことなのではないだろうか。

 

未知を「知」に変えていくことで、見える世界がどれだけ広がるだろう。できることがどれだけ増えるだろう。もう進めない、行き止まりだと思っていた道に、実は上をよく見てみたら手の届くところに梯子がかかっていて、進めることができたようなものである(例えがわかりづらいか)。思考がいつどんな時も自由になれるのだ。

 

世の中の物事は良い・悪い、好き・嫌いなどの二項対立で成り立っている訳ではない。今、日本を含めた世界は少し極端な意見に偏りやすくなってしまっているが、思考が自由なら、そのような状況下でも”真ん中”を選択していられるのである。いや、もしかしたら、あえて真ん中ではなく、どちらかの意見に寄ることもあるかもしれない。

 

思考が自由であるということは、誰かの意志や世の中の流れなどの大きな力に左右されないということで、つまるところ「私が自由でいること」なのだ。要するに、学ぶということは、私の自由を獲得することなのである。ずっと一つの部屋にしか入ることができない状態よりも、自由気ままに海外へも旅行できる状態の方が圧倒的に楽しい。学ぶことの楽しさは、「行動範囲が広がる楽しさ」のようなものなのかもしれない。

 

だから、自分への戒めも込めて。

 

学び続けることを人生が終わるその日までやめないように。自由を得る楽しさを感じながら学び続けたい。止まってしまっていた本を今日からまた読み始めたいと思う。

 

やれること、やりたいことから少しずつ。

 

星野マリエ