宣伝会議『広報担当者養成講座』は無理に行かなくてもいいと思う。
新しく広報の仕事を担うことになり、宣伝会議の『広報担当者養成講座』を受けようと考えている方もいるのではないだろうか。
私も約2年前に広報課に異動し、プレスリリースの書き方やメディアリレーションについて学ぶために『広報担当者養成講座』を受講したことがある。
結論から言うと、『広報担当者養成講座』は無理に受ける必要はないと思う。受講料も約10万円と結構高いし、毎週金曜日の夜3時間を取られることになる。読書がよっぽど苦手でなければ、広報実務をまとめた本や事例を集めた本を読んで、自分の属する組織で役立ちそうなポイントを仕事の中で実践してみた方がコスパがいいし、実際の広報スキルも身につくと思う。
講座では、プレスリリースの書き方、メディアがどうニュースを作っているのか、広報の最新事例、メディアリレーションの作り方に関する話を聞くことができる。各回、そのテーマに精通する講師(新聞記者、サイバーエージェントなどの広報が得意な企業の広報担当者、広報コンサルなど)が登壇する。話は結構面白かったけれど、表参道のお洒落なセミナールームで有名企業の広報担当者の成功事例や新聞記者の話を聞いて、「広報としてのスキルが身についた気になってしまうリスク」が高いと個人的には思う。
もらったテキストも引っ張り出して再読することもないし、むしろ自分で購入した本の方が再読して仕事の中で実践することが多い。
↑こういうのとか、
↑こういうのとか、
↑こういうのとか。
講座を受けたいけれどお金がなくて迷っている…という方。講座は無理して受けなくても大丈夫。その代わり広報に関する本をたくさん読んで、参考になるところに線を引いたりノートにまとめておくといいと思う。
私も育休復帰後、元の仕事に戻るのかはわからないけれど…。育児の合間で読書は続けていきたいと思う。
大学業界はもっと採用広報に力を入れたほうがいいのでは?
就職活動時から思っていたことがある。
大学の職員採用情報は見にくすぎる。大学という組織は採用広報に力を入れなさすぎではないか?
採用広報をしなくても人が集まってくる人気職種ということなのだろうか。しかし、自大学が求める人材を採用するなら、例えば採用ページを整えるなど、最低限の採用広報はすべきだ。
私は就職活動に迷走していたので、大学以外にも本当に色々な業界の企業を見てきたけれど、規模は問わずどの企業も採用広報は工夫していたように思う。先輩社員へのインタビュー記事がウェブサイトに展開されていたり、その企業の歴史や理念がわかりやすくサイトや会社案内にまとめられていたり、会社の雰囲気がわかる写真を多く掲載していたり。会社説明会で実際に社員に質問をする機会があったり、事業内容のポイントが見やすくまとめられたパワポ・映像・資料があったり。
大学職員の就職活動では、そのような工夫された採用広報を見かける機会が少ない。(なんなら採用説明会をやっているところも少ない。)これは非常に勿体無いことだなあと思う。その大学で働くことが具体的にイメージできるような情報をきちんと出すことによって、もっと自大学で活躍してくれるような優秀な人材が採用できるかもしれないのだ。また、「思っていた職場と違った」というようなミスマッチによる離職や個人の能力を活かせない事態も避けることができる。
優秀な人材の定義は各組織で様々あるだろうが、概ね共通して大学職員の典型的なイメージにあるような大人しい人材より、何かを企画したり、これまでにないような新しい取り組みを実行したりできるような人材も求められていると思う。そういう「大学にこれまでいなかったような人たち」に、職場として魅力を感じて入ってきてもらうためには、やはり採用広報の工夫は欠かせないだろう。
ただ、最近は新卒採用サイトを充実させる大学も増えてきている。例えば以下に挙げるような大学。
これらの大学のようにきちんと情報を出していくには、広報担当者と人事担当者、経営層との連携が不可欠。複数関係者が連携して大学自体の魅力と職場としての魅力、どんな人材を求めているのかを学生や転職をめざす人たちにわかりやすく伝えることを目指すのが良いと思う。
採用広報は課題だなと思って少しずつ仕事の中で手がけてきたが、その結果はどうなるだろう…。
もっともっと色々な人に大学という職場の魅力を知ってもらい、様々な人に関わってもらって、これからの大学業界が面白くなっていけばいいなあと思うなどする火曜日の夜でした。
暇な仕事と大学職員
暇な仕事ってあるのかなーと思う。仕事はどの職業でもお金貰ってる以上、暇な状態ってほとんどないんじゃないかなーと。頭を使う仕事か体を使う仕事か、そういう仕事の特徴の違いはあるかもしれないけれど。
どんな理由で大学職員を志望してもいいんだけど、「暇そう」とか「コスパがいい」とかいう理由で志望すると激しくミスマッチを起こすと思う。
それは職場によるし、部署によるし、人による。教務(医学部事務含む)、学生支援、キャリア、広報、入試、法人企画などなど、忙しい部署はたくさんある。
仕事をたくさん抱えていても、仕事の仕方がうまいから基本的に定時で帰る人もいるし、暇かどうか、コスパの良さとかよりもその仕事をしたいのかどうか今一度心に問いかけてほしいなあと。冒頭にも言ったけど、仮にも雇われてお金をもらっているのだから、全うしなければならない責務みたいなものは必ず生じる。それは大学職員という仕事でも同じ。
かつて尊敬する人が言っていた、大学職員を胸張って言える仕事にしたいということ。私も本当にそう思う。だから、私は私の仕事を全うするし、仕事の中で目標やあげたい成果(例えば認知度を上げるとか)があるから勤務時間外も勉強や情報収集をする。
日頃考えていることやスタンスは行動や言動に出る。自分が考えているより人はそれを見ている、と思う。
研究や情報発信をすることについて思うこと
大学職員として研究や情報発信をしていると、それに対する批判の声を聞くことも多い。そんなことをやっている暇があったら、自己顕示欲を満たしていないで、学生や教員のことを考えろ、と。
個人的には研究しようと、情報発信しようと、何もやらなかろうと、本務がきちんとこなせているなら各個人が好きにすればいい話で、他者からとやかく言われる話ではないと思っているのだが、とにかく何かやっている人を叩く場面をよく見かける。
なぜ大学職員が研究や情報発信をしていると叩かれやすいのか考えてみた時、本務がないがしろになっている人が悪目立ちするという理由の他に、大学の仕事ならではの特徴が原因として考えられるのではないかとふと思ったので、メモ的にブログを更新する。
他の業界でも働きながら研究したり、情報発信している人はいくらでもいる。例えばマーケッターやキャリアカウンセラーなど。彼らも彼らなりに叩かれる場面はたくさんあるんだろうけど、大学職員のように「そんなことやめろ」と言われづらいのは、①仕事の成果が見えやすく ②学んだり研究したり、発信した内容が実践の中で活かしやすいからではないだろうか。
つまり、大学職員の仕事が①成果が見えにくく ②学んだり研究したり、発信した内容を実践の中でどう活かすかがわかりにくいために、研究や情報発信をすることが良くないこととして受け止められやすいのだ。
広報ならば志願者数などである程度数値的な成果は見えるものの、学生相手、教員相手の仕事では具体的な目に見える成果は出しにくい。成果を出すために理論をどう使うのかということもわかりづらい。
だからと言って、大学職員がただ事務仕事をこなすだけでいいかというと、そういう訳でもない。(いや、ただ事務仕事がしたい人はそうすればいいと思うけど、私は「ただ事務仕事をこなすだけの仕事」はこれからの大学生き残りをかけた時代に時代遅れになると思っている。)学生相手の教育的側面が伴う仕事では、それに見合う理論に裏付けされた仕事ができれば勤務先の大学がより良くなるし、情報発信する中でまとまった考え・アイディアをもとに日々の仕事を少しずつ改善していけば、それもそれで勤務先の大学をより良くしていくことにつながると思う。
あくまで「本務をしっかりこなした上で」が前提だが、好きでやりたいのなら、大学院に進学して研究したらいいし、SNSやブログで情報発信をすればいいと思う。色々な自己研鑽があっていいし、多様なキャリアパスがあっていいと思うのだ。
このテーマに関しては以上です。
「肩書き」が目的になってはいけないな、と思う。
自分への叱咤の意味も込めて。
「肩書き」が何かをする目的になってはいけないなあと思う。自己承認欲求をある程度満たすことは、自己肯定感を持つ上で大事かもしれない。だけど、それを追い求めすぎると、いつのまにか中身のない人になってしまう気がする。
就活をしていた頃の自分、働き始めて3年目までの自分。恥ずかしながら、他者の評価を気にしすぎていたと思う。いわゆる「肩書き」や「どんな人と知り合いか」、「どんなところに所属しているのか」的なやつ。それが自分の評価とかそういうものを高めると勘違いしていた。
4年目を迎えてすぐの頃、ある人に「あなたは自分で何かと理由をつけて今いる場所に止まって、愚痴を言うばかりで、行動できていない」と言われて気がついた。(言われた直後はそんなことないとムッとしたけど)
私、何がやりたくて、何ができたの?何ができているの?
外見ばかりを気にして、中身が何もないんじゃない?
人生は肩書きをどれだけ集めてきたかではないのだ。何を考えて、いかに行動するのか。行動の積み重ねが自分を作る。それに気づいてから、自分の中で燻っていた何かが消えた気がする。「行動できているか」を時々振り返りながら、日々生きている。まだまだ未熟だけども。
先日、大学業界のことを勉強する方法について記事を書いた。必要だと感じるなら、勉強の場を求めてぜひ色々なところへ出かけていただけたら嬉しいのだけど、「肩書きを得る」ことを目的にして欲しくないなあと思う。
他の業界のことはわからないが、私が今身を置いているこの業界、「肩書きを得ること」が目的となってしまっている人に出会う確率が高い気がするのだ。
その勉強会は何のためにやっているの?(○○会の何々をやっている自分、××で発表した自分に酔ってない?)
その勉強は何のためにやるの?
自分は何をやりたいの?今、どんなことができているの?
手段と目的が入れ替わらないように。
日々精進していかねば、と思う。
工夫して残業を減らしたのに、仕事が増やされる現象について考えてみた
以前、「定時で帰るために工夫したこと」について記事を書いた。
ありがたいことに沢山の方に読んでいただき、Twitter上でも色々な反応をいただいた。その中で、私の頭から抜け落ちていた視点に関するツイートがあったので、今回の記事はそのことについて書きたいと思う。
私の頭の中から抜け落ちていたのは、これ。
ただどれだけ効率を上げても生産性の高い主体に新たな仕事が回るので、効率を上げるインセンティブが小さいのが日本社会の闇
— MATSUMIYA,Shinji (@sanjyuumatsu) 2018年4月8日
日本の組織にありがちな、”仕事ができる人に仕事が集まる”現象。せっかく定時で帰れるように工夫をしても、上司からさらに仕事を増やされて、結局残業せざるをえないという現象が日本の多くの組織では起こってしまう。
私が色々工夫して残業を減らせたのは、上司の理解があったことも大きい。上司が率先して仕事の効率化を進め、早く帰ることを推進していた人だったから自分の働き方をスムーズに変えることができた。とても恵まれた環境であり、上司には大変感謝している。
でも、恵まれた環境の人しか早く帰れないのは非常にもったいない。人生の貴重な時間、仕事もやるし、好きなこともやる。そういう生活を送れた方が幸せではないか?と思う。ということで、1日でも早く帰れる日を増やせるように、課員・平社員でも何かできることはないか考えてみた。
正直に言うと、”仕事が終わった日や早く帰りたい日は自由に早く帰れる”ような職場環境を整えるのは管理職の仕事である。こういう環境になっていない職場が多いのは、管理職のマネジメント力不足が原因。昭和の製造業時代の成功体験や家庭環境のモデルにいつまでも頼り、マネジメントできる管理職を育成してこなかった組織にも非はあるだろう。
生産性を高めた人に仕事が振られてしまう現象は、
①管理職が部署の仕事の全体像、全体量を把握しきれていない
②管理職が誰がどれだけの仕事を抱えているかを把握しきれていない
③管理職の価値観が「昭和」のままアップデートされていない
おおよそこの3つの原因に集約されるように思う。
じゃあ、私のような課員・平社員はその原因に対して何ができるだろうか。
鍵となるのは「コミュニケーション」であるように思う。雑談も含めたコミュニケーション。いくら自分が仕事を頑張っていても、それが相手に伝わっていなければその頑張りは無いも同然である。相手が「もうわかったよ、もういいよ」とうんざりするまで、コミュニケーションをとって悪いことはないと思うのだ。
管理職が部署の仕事の全体像や誰がどれだけの仕事をしているのか把握できていないのであれば、まずは自分の仕事について報告量・相談量を増やしてみるのが良いと思う。例えば、私は冊子を作る仕事を行っていたが、制作スケジュールと工程を上司に報告していたし、企業とのメールのやり取りはほぼ毎回上司をccに入れていた。また、自分の中である程度結論が出ている事でも、上司に念押しの確認をしたり、あえて相談をしてみるということも行っていた。
さらに、これは少し労力のいることだが、部署内の仕事の全体像や誰が何をやっているのかを自分自身がきちんと把握し、自分と強く関連のある仕事を行なっている人に対しては自分から積極的にコミュニケーションをとって状況を確認するようにしていた。相手の状況に応じて先手を打ってフォローに入ることもできるし、逆に自分がキャパオーバーであればフォローしてもらえるような関係をあらかじめ作っておくのである。上司から仕事が増やされる時、全く無関係の仕事が増やされることは稀だと思う。自分が関連する領域の仕事まで状況を把握できていれば、あらかじめ仕事が増えそうな芽を摘んでおくことができるし、上司に自分や関連する仕事の状況を相談・報告をすることによって部署の仕事への理解も深めてもらいやすい。仕事を自分主体でコントーロールしてしまうのである。また、適切なタイミングでフォローに入れるお助けキャラになる事で、早く帰る日に部署内の人から小言を言われる事態も避けやすくなる。
また、日頃から雑談を厭わないキャラクターでいられると良い、と最近思う。プライベートは徹底して隠したい人もいるだろうが、プライベートの状況を雑談の中で上司に伝えておく事で、早く帰りたい日がある事、早く帰る日は何か事情がある事を理解してもらいやすくなる。深く話す必要はないので、習い事を始めたとか、子供や家庭の状況とか、はまっている趣味があるとか、何気ない話をしてコミュニケーションをとることも管理職の「昭和的価値観」を少しずつアップデートしていく助けになると考える。
昭和の成長期は男性が組織で働き、女性が家庭を管理するというスタイルで社会を動かしていたから、「24時間戦えますか」というスタイルでもよかったのだと思う。しかし、日本の人口が大きく減少するこれからの時代、同じ組織の中で様々な背景を持った人が一緒に働くことになる。親の介護を抱えた人(女性だけではない。男性もだ。)、子育てをしている人、定年を延長した高齢者、持病を抱えた人、海外出身の人などなど。同質的な働き方をすることは、もはや無理な時代なのだ。
生産性を高めても損するだけだから甘んじて残業を受け入れる、というのも組織の中での一つの生存戦略かもしれないが、それは昭和的価値観の働き方を維持することに加担していることでもあるように思う。できることは少ないかもしれないけれど、それでも少しずつコミュニケーションをとりながら、変えられるところを変えることはできるのではないだろうか。(もちろん、組織の中にはいろんな人がいて、理不尽なことも多々起こるので、全然働いてない人の尻拭いをさせられる等、やれる事をやり尽くしてもうまくいかないことも多々あると思う。その場合は残念ながら、自分が体調を崩さぬよう個別に対応策を考えるしかない。)
何か1つでも変えてみると案外状況が好転することもあるので、周囲に対する自分のあり方・アプローチの仕方を変えてみるのも手ではないかと思っている。私自身も試行錯誤の段階ではあるが、今の上司ではない人の元で働いても、仕事の効率化をできるように工夫していきたいなと思う。
定時で帰るために工夫していたこと
「あー、早く帰りたい。」
働いている人なら誰しも、一度は思ったことがあるのではないだろうか。私はほぼ毎日思っている気がする。できることなら早く帰って、家でゆっくりご飯を食べながら好きなドラマやDVDを見たり、家族と会話したり、読書や勉強ができた方がいい。
入局してから4年間、部署異動もあったが、一貫して入試広報系の業務に携わってきた。大学の中では比較的残業が多くなる業務の1つである。
1〜3年目までのころは残業時間が平均1.5〜2時間/日、遅い時は毎日4時間以上残業をしていた時期もあった。しかし、昨年度は自分の仕事の仕方を見直し、残業時間を平均30分/日に抑えることができた。判断のスピードを早めたり、無駄を削ぎ落としたり、意識して取り組んでいたことを書いてみたいと思う。
定時で帰るために工夫していたこと
①メールの処理を溜めない
これは堀江貴文氏の『多動力』に書いてあった仕事術。実践してみたところ確かに仕事にかける時間を減らすことができた。
メールの返信やメールできた依頼事項の処理は、どうしても面倒くさくて後回しにしがちである。しかし、後回しにすると「メールの内容理解」「処理方法の検討」に関して無駄な時間が発生する。メール内容を確認してすぐに処理をすれば一度で仕事が済むものを、後日やろうと放置しておくと、メール内容の再確認の時間が必要になってしまうのだ。この再確認の時間を無くすことで、仕事の無駄を削ることができるし、メールに関するタスクが溜まっている状態を回避できるので精神衛生上も良い効果を生んだ。
私は毎朝、出勤したらメール処理をする時間を30分〜1時間設け、開封次第返信をしたり、担当者に転送したり、依頼内容の期限を確認していつまでに仕上げるか計画を立てて仕事の週間・月間スケジュールに組み込む作業を行っていた。
また、メールソフトのメール受信通知機能を常にオンにしておき、メールが来たらすぐわかるようにして、急な業務の対応をしている場合でない限り、すぐに処理するようにしていた。
②メールの返信を簡潔にする
メールの文面はなるべく簡潔にすることを心がけた。
メールは相手に不快感や冷たさを感じさせないよう、どうしても色々と文章をつけたくなってしまう。しかし、広報では1日に何十通も関係企業、教職員とやり取りをする必要が出てくる。メールの文章を必要以上に丁寧に書いていると、あっという間に日が暮れてしまう。そのため、メールの文章は関係企業、教職員に対しては簡潔に、初めてやり取りをする方には丁寧に文章を書くようメリハリをつけていた。
簡潔にメールを済ませる関係企業、教職員に対しては対面コミュニケーションの機会を設けられるので、対面時にメールのフォロー(御礼を手厚くしたり、説明不足がないか確認したりした)を入れるようにしていた。
③よく使う文言は「辞書登録」を活用する
メールや資料作成時、よく使う文言があると思う。よく使う文言はいちいちキーボードで手打ちをしていると面倒なので、PCの「辞書登録」機能を活用し、ある言葉を打って変換すれば必要な文言が出てくるように設定をしていた。例えば、下記のような感じである。
(例)
「ひた」と打って変換 → 日頃より大変お世話になっております。
「ま」と打って変換 → 誠にありがとうございます。
「どよ」と打って変換 → どうぞよろしくお願いいたします。
辞書登録では、文言と読み方を登録すると上記のように変換時に変換候補として出てくるようになる。文章を打つ手間がかなり省け、時短になるので辞書登録機能の活用はオススメだ。
④タスクはメモ帳で管理する
タスクの管理は色々試行錯誤を重ねた。ノートに雑記も兼ねて記したり、Webのスケジューラーで管理したり、Trelloというタスク管理ツールを使ってみたり…。しかし、最終的には非常にアナログだけれど、メモ帳にタスクのタイトルを書き出して優先順位や締め切りを記入、終わったものは線を引いて終了したことがわかるようにし、全部のタスクが終了したページは切り取って捨ててしまうという形に落ち着いた。
この形だと今タスクをどれだけ抱えているのかがパッとわかりやすい。タスク数、タスクを記入したメモ帳の枚数で今仕事がたまっているのか、比較的余裕があるのかが分かる。タスクが多ければ上司に仕事の進め方を相談して、その仕事が炎上する前に他の人に手伝ってもらったり、締め切りを延ばしてもらったりすることもできる。
全タスクに線を引いた(全タスクが終了した)メモ帳を捨てる時は達成感を感じることもできるので、メンタルにも良い効果がある。タスク管理がうまくいかずに悩んでいる人は、一度メモ帳に記すことも試してみてはいかがだろうか。
⑤頼まれたものは、すぐに取り掛かる
上司や先輩、他部署の人から仕事を頼まれた時、今取り掛かっているものをとりあえず中断し、すぐに依頼事項に取り掛かるようにした。これも①のメールを溜めないのと同じ理屈で、「何を」「どうするのか」という相手のオーダーを鮮明に覚えているうちに、依頼された仕事の大枠を整えるように意識した。大枠さえ整ってしまえば、細部は後でやっても何とかなることが多い。
例えば、資料を作る仕事であれば、「何を」「どこまで」「どんな形式で」載せるのかを依頼相手にすぐに確認し、資料の項目や記載する文言を整えてしまう。資料作成日の記入や資料のレイアウト、誤字脱字の確認など、細かいことは後日でも良い。
他部署の人と連携してやらねばならないことであれば、すぐに担当者に依頼メールを打ってしまう。期日に余裕を持って依頼できるので、他部署の担当者にとっても、私自身にとってもゆとりを持って取り組むことができて良い。
どうしても自分の立てた仕事の計画を優先しがちだが、「〇〇が終わってから」と後回しにするより、鉄は熱いうちに打った方が仕事のスピードは圧倒的に早くなる。急な依頼対応を優先しても、意外と自分の抱えているルーティン業務や季節業務は溜まらないので、「鉄は熱いうちに打つ」を癖にすると良いと思う。
⑥仕事のゴールを確認して、「やらないこと」を意識する
仕事は丁寧にやりだすときりがない。120点を取りに行くのではなく、80点で過不足ない結果を残すように仕事に対する意識を変えた。
今取り組んでいる仕事がどうなったら成功なのかを確認、イメージして、そのために必要なことだけをピックアップしてやるようにする。必要ないものは切り捨てる。場合によっては切り捨てる際に上司の確認が必要なこともあるかもしれないが、自分ルールでやっていたことや前任者のやり方を踏襲していたものなど、改善できるところも意外とある。
「あれもやらなきゃ」「これもやらなきゃ」ではなくて、「やらない」を意識するようにすると、今の仕事の改善点をより見つけやすくなると思う。
以上が昨年度、仕事を効率的にこなすために意識して取り組んでいたことだ。
早く帰ることは悪いことではない。早く帰って好きなことをした方が良い。その方が人生が豊かになると思う。
ということで、今日のブログはここまで。