元大学職員のスピーチ

元大学職員。PR会社に転職しました。//大学職員の仕事、大学職員論、大学教育に関する話題はこちらに書きます。//noteでは、広報PR、働き方などを発信中。https://note.com/mariehoshino

大学職員と女性のキャリア①

久々のブログ。1ヶ月以上間をあけてしまっただろうか。

 

ここ数ヶ月ほど、プライベートで色々立て込んでおり、ブログをサボってしまった。サボったことで文章を書くのが下手になっている気がするが、構わず書いていきたい。

 

今回書きたいテーマは、「大学職員と女性のキャリア」。これは持論だけれど、大学という職場は女性が仕事もプライベートも両立しやすい職場だと思っている。(女性の活躍が叫ばれている現在、これって仕事を探している優秀な女性にとって非常に大きなポイントではないか。採用担当の皆さんいかがでしょう。)

 

なぜ唐突にこのテーマなのか。

 

実は私、この度子供を授かることができた。

多嚢胞性卵巣という持病(体質?)があり、子供が欲しくてもなかなか授かれない、不妊治療が必要だったかもしれないので、自然妊娠で授かれたのは本当にありがたいと思う。やろうと思っていた勉強、取ろうと思っていた資格、動こうと思っていたことは少し後ろ倒しにせざるを得ないけれど、1人の人間を育てるという大仕事を小さい頃からやってみたかったので、これから少しの間はそちらに大きな力を振り向けたいと考えている。

 

で、この春から一年ほど出産や子育てのためのお休みをいただくわけなのだが、今後の仕事や働き方を考えたり、学内の制度を調べたり、職場の先輩や上司・他大学の友人知人を見ていて、改めて大学業界の女性のキャリアの描きやすさを実感している。

 

以前、Twitterでこのような記事をシェアした。

https://r.nikkei.com/article/DGKKZO23178070X01C17A1NZBP00

「育休からの復帰 早いほどお得に」日本経済新聞 2017.11.7

 

大手企業を中心に複数の企業で、女性が育休から早く復帰することでキャリアを継続して上を目指せる制度を整えているよという内容の記事だった。しかしこの制度、ナンセンスである。そもそも昇進を勤続年数を重視して決めていることが今の時代遅れているし、女性の活躍やダイバーシティなどとうたうのなら、一律で早く仕事に復帰させるのではなくて、働く人の背後にある事情を考慮しつつ、能力をきちんと評価して配属や昇進を決めるべきなのだ。

 

なぜ女は、最近では男の人も、仕事と家庭・プライベートを二項対立で考えねばならないのだろう。選ばねばならないのだろう。本来それらは別次元の話で、強く意識せずとも両立できて当たり前のものではないのだろうか。

 

話が少しそれてしまったが、大学という職場ではこのような家庭を取るか、キャリアを取るかという二項対立の選択がほとんどない。(いや、私の職場や周りの友人たちの職場が恵まれていて、例外はもちろんあると思う。)

 

長くなってしまったので、詳細は次のブログで。

続く。

 

 

 

 

「大学職員=ただの事務員」の時代は終わっている

先日、とあるブログを流し読んでいた。その中で気になった(気に食わなかった?)一文がある。


「ただの事務員でこれだけの給料もらえるなら〜」というもの。


大学職員って、「ただの事務員」なの?


SDの義務化だ、これからの時代の大学職員の役割だ、様々な仕組みが作られ、様々な議論が交わされている中で、もう大学職員が「ただの事務員」だった時代はとっくの昔に終わっていると思う。


一般的にはまだ「大学職員=事務作業をやっている人=超楽な仕事、仕事内容の割に給料が良い」という認識は根強い。(だから、この仕事に意義を見出して働いている人は、時々周りの評価や意見にモヤモヤすることもあるのではないかと思う。私はそうだ。)


だけど、今現在の大学職員の仕事って、全然楽ではない。


別に大学の規模感は関係なく、今は少しずつでも改革・改善をしなければ大学は生き残っていけない時代。どの部署にいたつて、大なり小なり改善力・企画力が求められる。昔よりもはるかにステークホルダーが増えているから、折衝能力・調整力も求められる。部署によっては営業力も必要だし、プレゼン力も必要だ(例えば入試、就職系の部署)。もちろん、場所によって仕事の仕方・性質が違うから、その人にとって向いている仕事であれば「楽だ」と感じることもあるかもしれないけれど。


これから大学職員を目指す人には、もう一度なぜ大学職員になりたいのかを考えてほしい。楽したいから、という理由なら、他の仕事でもよくない?もう一度考え直してほしい。


狭い世界だし立場の違う人が沢山いる世界だから、人間関係は意外と複雑。体力的には確かに楽でも、精神的にはキツイこともある。


教育というものに興味がある、意義を感じている。大学という場所に思い入れがある、面白みを感じる人は、きっと大学職員になって多少嫌なことがあったとしても、乗り越えていけるはず。


大学職員の仕事を、必要以上に貶めるの、やめませんか。銀行、百貨店、メーカーなどの他の様々な仕事以上の価値があるとは言わない。みんな同じように大変で、悩みながら苦労しながらの毎日だと思う。仕事はみんな大変で、その中に少しでも面白みを見つけながら働いていくのだと思うのだ。


つらつらと、先日感じた違和感を述べてみた次第。仕事のミスマッチが少なくなればいいのにな、と思う。



今月号の広報会議は必読です

大学広報に携わる方、そうでなくても興味のある方へ。

 

今月号の広報会議は必読だ。

今号のテーマは「大学広報」。

 

 

近大や東洋大、追手門大を事例に戦略的広報や戦略的ポジショニングについて分かりやすくまとめられている。

 

広報の仕事をするようになってから、広報会議は欠かさず目を通すようにしている。大学広報は業界内の知識、やり方だけでは足りない。一般企業の最新のやり方から学べることがたくさんある。

 

今月の広報会議でまとめられている、大学の戦略的ポジショニングにしてもそうだ。企業なら当たり前のマーケティングが大学では圧倒的に足りない。

 

もちろん、大学は教育機関である。そのため、小手先だけの手法でハリボテを作っても無意味だ。しかし、教育、研究の優れた取り組みと広報の手法が合わされば最強の組み合わせとなる。より効果的にメディアに取り上げてもらえたり、より自大学の特徴を明確に世の中に伝えることができる。近畿大学東洋大学がすでに実践して、証明済みだ。

 

で、自分の職場で私は何ができるのか。

なかなか近大や東洋大のように一筋縄で成功路線へ行くことは難しい。

 

今の私にできることは、近大や東洋大を目指して、自大学に足りないところを埋める、自大学の足りないところに土台を作って引き継ぐことだと考えている。

 

どこまでやれるかわからないけれど、星野マリエがいたことで、この後の広報が少しでもやりやすくなったら、私が携わった意味もあるのかなと思う。

 

企業のように数字がすぐに出る仕事ではないからこそ、仕組みづくりという点で結果を残していきたいなと思う、日曜日の夜でした。

 

 

 

 

 

マニュアル化することで業務の棚卸をする

マニュアルが整っている大学はどれくらいあるのだろう。

 

大学という職場は意外と口伝も多くて、まだまだ通常業務について統一したマニュアルが整っていないところも多いのではないだろうか。新人で配属されても、異動して新たな部署になっても、その部署に来たばかりの頃は仕事が全くわからず居心地が悪かった、なんてことはざらにある気がする。

 

いや、たしかに、マニュアル化ってめんどくさい。自分の業務について何も知らない人でも分かるように書こうとすると、かなりの労力を要する。忙しい時にはなかなかやる気にならないが、マニュアル化することにはメリットもかなりあると個人的に思っている。

 

 

マニュアル化することのメリット

①自分の業務の棚卸しができる

このメリットはかなり大きいと思う。何も知らない人がマニュアルを読めばある程度の水準までは仕事ができるようにマニュアルを作るとすると、その仕事の意義、背景、目的から仕事の手順、多少のイレギュラーに関する過去の事例まで書くことになると思う。この内容を書くにあたって、自分の業務を必ず振り返ることになる。あれはどうやったっけ、これはどうやってたっけ。思い返す中で、不要な手順が見つかったり、仕事の全体像を俯瞰して見ることができるようになるのだ。

仕事の全体像が見えてくると、全体の作業量が見えてくる。作業量が見えると自ずとその仕事にかかる時間もなんとなく計算できるようになる。

業務を効率化するという意味で、マニュアル化は役に立つのである。

 

②自分だけの仕事でなく、誰でもできる仕事にすることで新たなチャレンジができる

大学職員に多いのが、仕事が人についているという事態。これ、本当はかなり非効率的である。

一見その仕事のプロであるように見えるが、我々の仕事は弁護士や医者、教授などとは違う。本来誰でもできる仕事である。たしかに人には得手不得手があるので、その仕事に適任か不適かという判断はできる。しかし、その人がいないと仕事が回らないという事態はおかしい。

もし自分に仕事がついてしまっているなら、そのことを誇らずに今すぐマニュアルを作るべきだ。

マニュアル化して自分以外の人もその仕事を担えるようになれば、たとえばマニュアルを共有しておいて、自分が休みをもらった日でも問い合わせに自分以外の誰かが対応できるようになる。問い合わせ対応にとられていた時間を、次の仕事に回すことができるし、気兼ねなく休みをもらうことができれば外部で開催される研修で自己研鑽を積むこともできる。

空いた時間で新たな挑戦ができるようになるのだ。

私自身、マニュアル化したことによって他の人が私の仕事を担えるようになり、より上位の仕事に取り組むことができている。

 

まだまだマニュアル化率100%には程遠いが、日々少しずつマニュアル整備を進めていきたい。

 

 

追記

マニュアルというちゃんとしたものを作れない、という人はまずはメモを残すことから始めてみてはどうだろうか。

 

ある業務の今年度の反省点で、次年度は改善したいことを箇条書きでパソコンのメモ帳にメモして、共有フォルダに保存しておく。少しわかりづらい仕事の手順を思いついた時にパッとメモしておく。これだけでも、次年度急に自分の仕事を引き継がねばならなくなった際にかなり安心である。

「言われたことをただやる」のは入社一ヶ月目まで

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周りを見ていて思うことがある。

仕事ができる人というのは誰しも、自分の仕事に対して何かしらの工夫を加えている。

いつの間にかマニュアルが整っていたり、その人が作ると資料がやたら見やすかったり。言われたことをただやるのではなく、言われたことに対して何が最適解なのかを自分で考えて行動に移している。

 

後輩を見ていて思う。ぐんぐん仕事を吸収していく後輩は視野が広くて、言われたことをただこなす人にはなっていない。

 

必ず一度自分の頭を通して考えて、分からないことは自分なりに考えたり調べたやり方であっているか聞いてくるし、こちらが伝えきれていなかったことまで気がついて、それをやるべきか聞いてくる。仕事の先を見ているし、担当業務や部署の中で自分がどう動くべきかをよく考えている。

 

言われたことをただこなすのは確かに楽である。何にも考えなくて良いし(考えるのは力がかかるし時間もいるし)、責任は自分が持たなくて良い。でも、それで仕事は楽しいか?と思う。

 

言われたことをこなすだけならアルバイトでいい。私が、あなたがその職場にいる意味を作れるか?その仕事を担う意味を作れるか?仕事は辛いこともままあるが、その中でも楽しみを見出したいなら、まずは自分の頭で考えて仕事にコミットすることだと思う。

 

言われたことを言われた通りにただこなす。これは右も左も分からない、まずは仕事のやり方とその職場のルールを覚えねばならない入社(入職)一ヶ月目までだと思うのだ。

 

働き方も仕事のあり方も今後次々と変化を迎える、この先の予想のつかないこの時代に求められるのは、自ら考えて仕事を最適化できる人、自ら道を切り開いていける人なのではないだろうか。

 

何か1つでもいいから、今取り組んでいる仕事に自分なりの工夫を加える。私自身も改めて意識したいことである。

悩んでる人が多い気がする。大学職員。

約2年前からだったか。

大学で働く人としてTwitterを始めた。

大学職員と思われる方や大学関係のアカウントをフォローして、業界動向の情報収集をしている。(乗っ取り被害にあって一度アカウントを変えているけど。)

 

ここ最近、若手から中堅まで色々な方をフォローして、日々のツイートを眺めていて思うことがある。

 

大学職員、日々悩みながら仕事をしている人が多くないか。

 

Twitterがネガティヴなことを呟きやすいツールであるということを差し引いても、である。実はSNSが趣味なので、他業界の方のつぶやきもリスト化してチェックするようにしているのだが、他の業界に比べてどうもある種の悩みツイートが多い気がするのだ。大学職員。

 

その悩みの種はどこにあるのだろう。何故悩みが尽きないのか。

 

多くの人のつぶやきに共通するのは、組織の人に関する悩みであるということ。あくまで個人的な所感だけど。

 

同僚の仕事に振り回されて悩む人、先生との関係性に悩む人、後輩とのコミュニケーションの齟齬に悩む人、上司のマネジメント不足に悩む人、上層部の意思決定に振り回されて悩む人。などなど。

 

これもあくまで私個人の考えだが、大学職員が事務屋でよかった頃はこういう悩みも少なかったのではないか、と思う。大学職員として求められることが増え、事務局の組織のあり方を変えねばならない時代に、組織の変革が追いついていない結果起きるのではないだろうか。

 

上司のあり方が過去の組織で良しとされていたものから変わらねばならないのに、変わっていないからマネジメント不足が起きる。先生と職員との関係性も変わっていかねばならないのに、先生側の理解や職員側の理解が追いついていないから、齟齬が起きる。

 

これらの問題は、研修制度の充実や組織改革を行う中で地道に課題をクリアしていくしかない気がする。故に、解決にはすごく時間がかかるな、と思う。

 

悩みの種はまだまだ尽きることはないのだ。

その悩みとどう付き合うか。いかに自分が動けるか。相手が変わらないなら、変えるために少しずつでも動く。私自身まだまだ不足しているし、むしろ未熟で、時に頑なになってしまうのを変えねばならないけれど、目指す方向に持っていくために自分に何ができるかを考えて仕事をせねばならないのだと思う。(それは別に1人でやらなくてもよくて、上司の力を借りて人を動かすのもあり。)

 

うーん。日々精進ということか。

今日も悩みながら仕事をしてきます。

 

 

 

広報担当者として取りたい資格〜PRプランナー検定〜

つい先日、とある合格通知書が届いた。

820日ごろに受験した資格、PRプランナー検定1次試験の結果だ。

 

社会人になって3年目までは仕事のやり方を身につけることに注力しすぎて、その他の勉強まで手が回らなかった。4年目を過ぎた今、やっと色々な勉強を始めている。(というか、4年目にもなってくるとそろそろ他の知識を身につけていかないと成長が止まるし、今後求められること、自分が求めることに追いつけなくなる気がしている。)

 

 このPRプランナー検定日本パブリックリレーションズ協会が実施している試験で、広報の実務能力や知識をどれくらい持っているか客観的に証明する資格である。

 

この資格を取ろうと思ったのは、

①勉強した内容がすぐに私自身の仕事に活かせると思ったこと

②大学での仕事はなかなか一般社会に理解して貰いにくく、自分が持っている知識や能力を証明する何かが欲しかったこと 

この2つが理由だ。

 

実際に勉強してみて思ったのは、大学職員にも充分オススメの検定試験であるということ。

 

今、一般企業でも大学でも、広報は経営上重要な業務と位置付けられることが多くなっている。(広報と広告宣伝は違う。広告を打つことが広報だと思っている人も結構多いが、広報は社内・大学内の情報をいかにメディアやステークホルダーに刺さる形かつ信頼できる形で伝えていくかを考えて、実践する仕事だ。)

 

大学業界で広報の力を120%発揮した好例が近畿大学東洋大学近畿大学は建学当時からの理念に基づいた水産研究が身を結び、養殖マグロのPRで成果を上げた。日本初の実績だけにメディアにもバンバン取り上げられ、そこからさらに様々なアプローチを仕掛けて志願者を大きく伸ばしている。東洋大学も駅伝などのスポーツを皮切りに、最近は女性の働きやすい企業ランキングなるものを研究成果として作り、うまく世の中の関心と合わせながらメディアや企業へのアプローチを展開している。

 

この少子化・大学の競争激化の時代に大学が生き残っていくためには、自大学を「外」に正しくPRしていく「広報力」を高めていくことが欠かせないのだ。

 

しかし、これまで大学という組織はあまり「外」を意識して仕事をしてこなかったように思う。各部署の仕事が、社会の中でどんな価値・意義を持つのか。他大学と比べてどこが違うのか、どこが自大学ならではの取り組みと言えるのか。自大学にはどんなリソース(先生、学生、部活動、施設、環境など)があるのか。今どんなことに取り組もうとしていて、それは社会にどんな影響を与えられるのか。これらのことを、どんなターゲットにどうやって伝えていくのかについて、きちんと理解して実行できている大学職員はどれくらいいるだろうか。私自身、まだまだ目指すレベルに到達できていなくて非常に悔しいしもどかしい。

 

大学の広報はまだまだ一般企業に比べれば遅れをとっていると言わざるを得ない状況で(もちろん、大学と企業は成り立ちや組織のあり方が多少違うので一概には比較できないが)、体系だった広報の知識や手法を持っている大学は少ない。

 

広報担当者として知識や考え方を新たに身につけたり、OJTで得た言語化できていない手法を一度整理したりするために、広報に特化した検定試験を利用するのもアリなのではないかと思う。

 

実はこのPRプランナー検定、項目はまだ少ないけれど企業以外の組織における広報についても設問が設けられていて、公式テキストで勉強すればその辺の知識も手に入る。大学で働く広報担当者も、広報担当者じゃないけど興味ある人も、将来的に広報に携わってみたい人も、一度検討する価値はあると思う。

 

なんだか宣伝みたいになってしまったし、文章の締めがうまくいかないのだが、こういうのも大学職員のSDとしてありだよね?ということで、今回の記事は終わらせたい。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。