元大学職員のスピーチ

元大学職員。PR会社に転職しました。//大学職員の仕事、大学職員論、大学教育に関する話題はこちらに書きます。//noteでは、広報PR、働き方などを発信中。https://note.com/mariehoshino

女性のキャリアについて思うこと①

働きたい。社会と何かしら接点を持っていたいから。

 

でも、子供と一緒にいる時間も大事にしたい。

可愛い時期はいつだって今日が最後。時間は戻せないから。

 

家事だってきちんとこなしたい。

料理も掃除も洗濯も、暮らしがきちんとしていることが楽しいし、心の安定の源だから。

 

あれもこれも求めたら生きづらい世の中です。特に女性は。

何かを諦めたり、捨てたりすれば良いのだろうけれど。一度きりの人生。

やれることは最大限やりたい。やっていいと思うのです。

 

 

6月28日(水)に放送されたNHK朝イチ「40代主婦 稼ぎたいけれど…」を見ました。

 

www1.nhk.or.jp

 

女性のキャリア中断の問題はなかなか改善しないな。

問題の原因は企業側の意識にもあるし、女性の側にもあるように思います。

企業は多くの主婦の能力を低く見積もりすぎだし、女性は企業の求めている能力を知ろうとしなさすぎ、かつ情報収集下手すぎる。

 

一例として上がっていた元SEの主婦の方。SEの経歴を生かして9時〜14時までの仕事を探しているけれど見つからないんだそう。

 

おかしいな。企業の一般的な有効求人倍率が2.46のところ、IT・通信系企業の有効求人倍率は5.90あるはずなのに。年齢を考慮しても仕事が見つからないはずがないのに。

 

SEであればテレワークで一部仕事を行える会社もあるはず。ベンチャー企業でそのような求人を出しているところ、見かけたことがある。(趣味で転職サイトをよく眺めている)この元SEの主婦の方は、情報収集の仕方に問題があるのではないかと思ってしまったのでした。

 

企業と女性の労働力が上手く繋がらない。両者ともにアンハッピー。

この状況、どうにかならないかなあと思っている今日この頃。

 

ーーー続く。

 

 

 

 

 

 

 

【読書記録】「多動力」堀江貴文

多動力 (NewsPicks Book)

多動力 (NewsPicks Book)


読みました。
今話題の本。


ざっくりまとめると、

AIなどが発展するこれからの時代、1つの経歴や能力、キャリアで何十年も食べていくのは難しくなるから、興味のあることはなんでもやってみて、自分の経歴の幅を広げよう、

という話。


もう少し詳しく説明すると、興味のあることにどんどん取り組んでいけば、100万分の1の人材になれると堀江氏は言っている。

単なる社長なら何千人と日本にいるけれど、
社長×イベント企画者×コンサルタント×…とスキルなり経歴を掛け算していくと、(理論上は)何百万分の1の人材になれるというのだ。

今、私は働き方やキャリア形成にとても興味を持っている。今後、どんな風に働きたいか、生きていきたいか。何をして食べていくのか。堀江氏の考え方は非常に勉強になった。(勉強になるだけじゃなくて、実践もしていかねばと思う。)

本の中では、堀江貴文氏が実践している仕事の仕方なども紹介されている。一部、私個人として納得できないところもあるにはあるが、全体的にスピード感を持った仕事の仕方ややりたいことの実現方法、今後のキャリア形成についての考え方を学ぶには良い本だと思う。

2020年以降の私立大学進学について思うこと

2020年に開催される東京オリンピック

今、日本経済はオリンピックに向けた観光客誘致や街の整備、会場整備により上向いているようです。

2020年まではこの景気、おそらく続くでしょう。景気がいいということは、就職市場も新卒売り手市場になりやすい。新卒売り手市場になると、就職に対する不安から資格至上主義で受験生が動くことはなく、自然と文系学部(特に経済系)の人気が高まってきます。また、学費を懸念した国立大人気も収まり、私立大学への進学も増えているようです。


何が言いたいか。
2020年までは大都市圏、特に首都圏の多くの私立大学は志願者募集に大きく困ることはないのではないかと思うのです。(多少困ることはあるかもしれません)

問題はその先。
2020年以降の日本社会がどうなるか。

オリンピックが終わった後、好景気が落ち着く都市も多い中で、東京はどうなるか。日本はどうなるか。

好景気が落ち着くのであれば、私立大学の志願者募集はまたリーマンショックの頃のように厳しくなる時期が来るかもしれません。

2年先を見越して、先手を打っておきたい。ともすると詐欺になってしまう大学広報で、誠実に、でも知名度を上げるべく知恵を絞って、大学の特色をPRしていくにはどうしたらいいか。

答えは出ません。正解は各大学でそれぞれのはず。今日できることから少しずつ取り組んでいけたらと、日々の仕事に意味を見出したい今日この頃。

【読書記録】「センスは知識からはじまる」水野学

こんばんは、星野マリエです。

どうにもブログを書く習慣が身につかない。一ヶ月半も空いてしまいました。

ブログの書き方を変える必要があるか。

読書記録も文章力強化の訓練としてやってみたいと思います。気になる本があれば是非ご一読下さい。

 

1ヶ月ほど前に読了したのが、この本。

「センスは知識からはじまる。」水野学著

 

センスは知識からはじまる

センスは知識からはじまる

 

広告業界の人の考え方を知りたくて、購入。本当にザックリ要約すると、センスは天性のものではなくて、膨大なインプットから生まれるということが書かれた本でした。

 

広報やっていると、いろんな人から自分はセンスないから広告デザインとか決められないだとか、センスがないからSNSできない、というような話を聞くことがあります。

 

でもそれ、実は言い訳になってしまうかも。

著者の水野学さんはデザイナーですが、会社や商品を世の中に広めていくプロデュースもやられている方。ある商品に最適なデザインやPRをする上で、日頃から行なっている雑誌のリサーチや人間観察、読書などから得た知識や知見を結びつけて、新たなデザインやPR方法を生み出しているのだそう。

 

センスがいい人は、実はそのことに関して人の何倍も情報を得ているだけなのかもしれません。

 

センスがない、を言い訳にせず、日頃から様々なインプットをしていかねば、と広報として改めて思った次第。と同時に、趣味でもなんでも、どんなインプットも無駄にならない。どこで生きてくるかわからないな、と思いました。

 

私が大学職員を志した理由と現在の心境②

こんにちは、星野マリエです。
前回に引き続き、「私が大学職員を志した理由と現在の心境」について書いていきたいと思います。だいぶ間が空いてしまって申し訳ありません…

 

まずは、前回のおさらいから。
私が大学職員を志したのは、第一志望の広告業界の選考に全て落ちてしまったことがきっかけでした。次にどの会社を受けようか考える中でもう一度進路を考え直し、「大学職員」という選択肢を選びました。

 

 

では、なぜ方向転換で大学職員を選んだのか。その理由は、大きく分けて2つあります。

①働き方が自分の理想像にフィットしていた

②仕事に求める価値が自分の理想にフィットしていた

 

上記二点が理由です。
詳しく見ていきます。

 

 

①働き方が自分の理想にフィットしていた

これは方向転換を考えた際、「自分は一体どんな将来を望んでいるのか」をもう一度フラットな状態で思い描いた結果、出てきた答えです。

 

人生の中で一体何を大切にしていきたいのか。これは各個人が育ってきた家庭背景やそれぞれ持つ考え方の影響があるため、人によって答えは多様だと思います。

 

私の場合は、当時付き合っていたパートナーと結婚して家庭を持つこと、子供が生まれても働けることが大事な条件でした。

もっと具体的にいうと、家庭を大事にするために、勤務先の条件として
・全国転勤がない
・ある程度の時間で帰れる
・育休産休、時短などの制度が整っている
・休みがきちんと取れて、身分保障もしっかりしている
ということが譲れない条件として私の中にあったのです。

 

しかし、上記の条件を満たす職場なら、例えば銀行や商社などの一般職でもよかったはず。

そういった一般職ではなく、なぜ大学職員だったのかというと、私の性格や行動の傾向上、コツコツ型の事務の仕事よりも広く色々な仕事を経験できる総合職として働きたいという思いが強かったからです。

 

大学職員は基本的に総合職として採用されます。広く様々な仕事を経験しながらも、多くの大学で「全国転勤なし」という条件をクリアでき、私の理想とする働き方にフィットしていました。

 

 

②仕事に求める価値が自分の理想にフィットしていた

また、働き方だけでなく、「仕事について自分はどう考えているか」ということも改めて考え直しました。

 

働き方だけでなく、仕事を通じて何がしたいのか、仕事を人生の中でどう位置付けるのか。これもまた、人によって様々な考え方があるものです。

私自身は、どうせ働くなら自分の携わった仕事が目先の利益ではなく、何年も先の未来の社会に生きてくるような仕事がしたいという思いがあることに、自分と向き合う中で気づきました。

 

大学職員という仕事は、その大学を作った人の創設の想いを引き継ぎ、未来に向けて大学を残していく仕事であり、誰かの人生に大なり小なり確実に影響することができる稀有な仕事です。

 

改めて自分がどんな道に進もうか考える中で、自分が理想とする仕事像フィットするのは、大学職員だという結論に至ったのでした。


以上が私が大学職員を志した理由です。大学職員の採用試験でも、特に②の内容については面接の中で必ず話していました。

 

大学職員を志す方は、大学職員の待遇(最近では必ずしも良くはない?)は一旦横に置き、仕事に求める価値をぜひ一度考えてみていただきたいです。

なぜなら、大学職員は今後、決して割りの良い仕事ではなくなるからです。

大学は少子高齢化の波を真っ先に受けます。いわゆる斜陽産業にあたります。それぞれの大学が生き残りをかけて、必死になって仕事をしているような中で、沢山のステークスホルダーの間にもみくちゃにされながら仕事をしなければなりません。

 

そんな状況で心が折れそうになった時、立ち戻れる価値観があると、挫折せずに(愚痴は吐けども)その場に立っていられると思います。

 

 

と、カッコつけたことを言ってみましたが、私の現在の心境は、少し複雑です。

 

まず、仕事内容や現在の仕事に就いたことについて後悔はありません。やはり思っていた通りの職場で、自分の価値観にもマッチした仕事でした。働き方も思っていたものと相違はなく、ありがたいことに私の勤める大学では、自分の思ったことを自由にやらせてもらえる環境にも恵まれています。

 

ただ、今後のキャリア形成については迷いがあるのも事実です。

 

その大きな理由は、今の職場で働き続けられるかどうかが分からないということにあります。それはいくつか要因が重なっており、パートナーの海外転勤、自大学の学生募集状況、自分自身の仕事の価値観の変化が主な要因です。

 

今後の人生を共にするパートナーは、確定ではありませんが、海外転勤がありえます。海外転勤になった場合は私も転勤先についていき、彼の生活をサポートしたいという思いがあります。その場合、2年は確実に海外で暮らすこととなるため、現行の就業規則では休職はできず、辞めるしかないなと思っています。

 

また、自大学の学生募集状況を見ていると、ここ数年が勝負であるように感じます。生き残るか、他大学に負けてしまうか。後者だった場合、勤務先が何年か先になくなってしまうことも想定して働かねばなりません。

 

そして、この数年働いてみて、仕事としてチャレンジしてみたいことが2つほど出てきました。まだ迷うところではありますが、チャレンジすると決めた場合、現在の仕事を辞めることも考慮しなければならないかもしれません。

 

大学職員の仕事を通して身につく知識やスキルは、大学業界でのみ通用するような知識、スキルであることが多いです。上記のように辞めざるをえない状況になった場合、大学職員の経験値だけで、その後のキャリア形成に結びつけていけるのかについては不安に感じることもあります。

 

現在、私は今後の自分のキャリアを見据えていくつか資格を取ったり、勉強会に参加したりして力を蓄えようと考えているのですが、その話は長くなりそうなのでいずれ別な記事としてまとめたいと思います。

 

もし仕事に関する質問などありましたら、ぜひコメントくださいませ。

それでは、また:)

 

星野マリエ

 

私が大学職員を志した理由と現在の心境①

ご無沙汰しております。星野マリエです。

今、広報の仕事が佳境です。

 

ある冊子を作っているのですが、原稿の確認に追われる毎日。

なかなかブログ記事作成への気力もわかず、更新が滞っておりました。

年初のやる気はどこへいったのだ。目標を達成すべく、頑張ります。

 

さて、3月は就職活動の情報解禁の季節ということで、今日から3回くらいに分けて「大学職員という仕事への志望理由」と「実際に働いてみてどう思うか」ということについて書いていきたいと思います。大学職員を目指している方に向けて、擬似OBOG訪問になれば。

 

 

このブログを読まれている皆さんは、どのような理由で大学職員を志望されている(されていた?)のでしょうか。 私の場合は、新卒で大学職員の採用試験を受けたタイプですが、残念ながら前向きな理由ではありませんでした。第一志望にしている皆さんから総スカンを喰らうかもしれません。

 

「第一志望の業界の選考に全て落ちたから」

 

これがまず1つ目の大きな理由です。方向転換組です。

 

 

もともとは大学時代に学んでいた「若者文化」や「統計学」の知識を生かして、広告業界を目指していました。広告の仕事の中でも、特にストラテジストやマーケッターといった仕事がやりたかった。

 

社会を俯瞰して見ることが好きだったし、若者には今何がトレンドで、若者の気風はどんな感じかを考えるのが好きだったので、その周辺領域に携わって社会の流れを作れたらなあと漠然と思っていました。

 

最終面接直前までいった会社もあります。でも、全て落ちました。

なぜ落ちたのか、理由は自分でよくわかっています。

 

私の中に、就職活動を通して「無理して、背伸びをしていた部分があった」からです。それは結構複雑です。

 

自分自身のこれまでの学歴や取ってきた成績へのプライドが、「大手じゃなきゃ」「難関企業じゃなきゃ」と偏った選択をする一因となっていたり(要領は良かったので成績はいわゆる”優秀”と言われる層に入っていたと思います)。

また、小学校〜大学という学校に通っていた期間に、いろんな物事に対してチャレンジをしてこなかったし、できなかったので、「自分は一体何をすることができて、何に興味があるのか?」ということを客観的に掘り下げることができませんでした。要するに、限界まで興味のあることを突き詰めたり、バイトでもなんでも、やってみたいと思うことを突き詰めてこなかったので、自分の能力に対して”幻想”を抱いてしまっていたのです。実際そんなことはないのに、やってみれば出来るっしょ、と軽く考えていました。

それから、自分自身の価値観をよく理解していなかった。仕事を選ぶ際の価値観は人それぞれです。社会を動かすような仕事をしたい、それが大事な価値観の人もいれば、プライベートを大事にしたいから堅実な仕事をしたいという価値観の人もいます。私にとって一番大事なものは「結婚して子供を育てていくこと」でした。もちろん、正社員として働いて、責任のある仕事はしたい。けれど、広告会社で働いている方々がとても大切にしている「社会を動かす仕事がしたい」「面白いことをやってやりたい」というような価値観は、私の中では優先順位が低かったのです。

 

 当然の結果として、広告業界の就職活動は失敗。

方向転換を考えた時に出てきた選択肢が「大学職員」というものでした。

 

<続く>

 

星野マリエ

 

P.S. 今思えば、広告会社に就職していなくてよかったなと思います。当時はだいぶ傷つきましたが…。価値観が大きくずれていたのだから、広告会社に勤めていたら、おそらく今頃病気になっていたり、心を病んでいたり、とにかく良くない状態だったと思います。

 

就職活動でも、転職活動でも、自分が何を大事に思っているのか、価値観を探るのは大事なことだと思います。それは結構直感的なものかな、と個人的には思う。色々な会社の求人を見て、ここはいいかも、と直感的に思った会社の求人票を集めて、自分はどの条件に惹かれているのか、なぜ惹かれているのかを考えてみると、仕事を選ぶ上での価値観は少し見えてくるかなと思います。

学ぶということ

高校生の集中力はすごい。

 

今日は入学試験の試験監督として仕事をしていて、試験の最中に高校生を見ていて思ったことである。

 

高校生、特に受験を控えている子たちは、入学試験の1日のために(およそ1時間×3〜5コマのために)、高校時代の半分くらいの時間を受験準備の勉強に費やしているのだ。(もちろん、人によっては部活にほとんど時間を割いた人、留学した人など、受験準備にそれほど時間をかけない人もいる。)

 

「大学に入ったら好きなことができる」

 

自分自身が受験生だったときを思い返しても、そんな長い時間を勉強に割くほとんどの受験生のモチベーションはこれに尽きるように思う。バイトがしたい、好きなアーティストのライブに行きたい、彼氏彼女が欲しい、アメリカに行きたいなど、数々の「やりたいことリスト」をいち早く実現させるために、”今は我慢して”勉強を頑張るのだ。

 

「学ぶこと」を楽しんで勉強している高校生は日本にいったいどれくらいいるのだろう。

 

 

学ぶことは世界を開くこと

 

「学ぶこと」は確かに大変なことである。本を読んだり、調べたり、実際にやってみたり、時間はかかるし、お金も物によっては多少かかる。

 

けれど、「学ぶこと」は世界を開くことであり、自由を獲得する楽しさが伴うことなのではないだろうか。

 

未知を「知」に変えていくことで、見える世界がどれだけ広がるだろう。できることがどれだけ増えるだろう。もう進めない、行き止まりだと思っていた道に、実は上をよく見てみたら手の届くところに梯子がかかっていて、進めることができたようなものである(例えがわかりづらいか)。思考がいつどんな時も自由になれるのだ。

 

世の中の物事は良い・悪い、好き・嫌いなどの二項対立で成り立っている訳ではない。今、日本を含めた世界は少し極端な意見に偏りやすくなってしまっているが、思考が自由なら、そのような状況下でも”真ん中”を選択していられるのである。いや、もしかしたら、あえて真ん中ではなく、どちらかの意見に寄ることもあるかもしれない。

 

思考が自由であるということは、誰かの意志や世の中の流れなどの大きな力に左右されないということで、つまるところ「私が自由でいること」なのだ。要するに、学ぶということは、私の自由を獲得することなのである。ずっと一つの部屋にしか入ることができない状態よりも、自由気ままに海外へも旅行できる状態の方が圧倒的に楽しい。学ぶことの楽しさは、「行動範囲が広がる楽しさ」のようなものなのかもしれない。

 

だから、自分への戒めも込めて。

 

学び続けることを人生が終わるその日までやめないように。自由を得る楽しさを感じながら学び続けたい。止まってしまっていた本を今日からまた読み始めたいと思う。

 

やれること、やりたいことから少しずつ。

 

星野マリエ